俳句添削道場(投句と批評)

長谷機械児さんの添削投稿の古い順の2ページ目

雨降りぬ八月十五日正午

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 正午雨模様八月十五日

イサクさん、「赤茄子」句に対する添削、ありがとうございます。

「父箸を置き」…なおじいさんの提案句もそうでしたが、なんとも立派な「父」です。こちらは一言あるときには箸を置き、姿勢を正してから話し始めるような、厳格な父親像ですね。

さて、御句について、お礼にこちらも添削を・・・。これがまた、なおじいさんの気温「三十度」に続いて難しそうな、日付の句ですか。

時刻を示す「正午」と日付「八月十五日」が離れていることに違和感を感じます。
あと、一句全体がすべて漢字ということに意図があるのかどうかが気になります(経文や昔の公文書のようにしたかったとか?)。

提案句は、日付時刻の普通の順序に変え、漢字統一をやめ、また「雨模様」を「雨降りぬ」と完了形にしました。“これから雨が降りそうな様子”では語感として弱いと思ったので、もう終った事実として言い切っています。

個人的には、字余りになりますが、

・八月十五日正午は雨なりき

全部漢字を維持するとしたら、

・八月十五日十二時雨天也

といった感じが、淡々としいて季語に合っているかとは思うのですが、添削して字余りを作るのは気が引けるので止めておきました。

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 0

長昆布寝ぬる猟虎のまとふかな

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 霧多布昆布纏って寝るラッコ

HIGUMAさん、はじめまして。

野生のラッコ、見てみたいものですが、この夏休み(私は今週いっぱいが夏休みなのです)は、コロナと天候不良でずっと巣籠りです。

さて、御句の気になる点を箇条書きに。

・「霧多布」と聞くと、私は「岬」でなく「湿原」の方を想起します。これに続くラッコの姿にはあまり関係なく、読む側にとっては要らない情報のように感じます。
季語「昆布」について、その本意は人間が食べる食材としての昆布であると思うのですが・・(手元の平凡社の「ポケット俳句歳時記」には確かに「昆布」(夏・植物)とあるのですが、例句は「昆布刈る」「昆布納屋」という使い方。もう一つ角川文庫分冊版(新年)にある総索引では「昆布刈」はあれど、「昆布」としての収録はありませんでした)。もしかして「ラッコ」が季語か?と両歳時記を繰りましたが、これは季語ではないようで。

それとも「霧多布昆布」というのが一種のブランドとしてあって、これをラッコがちゃっかり拝借している、という滑稽句・・・ではないと思いたい・・・。

提案句は、昆布を上五において、中七下五をラッコの姿にまとめたものです。季語に関しては、気になるものの「昆布」から変えると言うことはしていません。「長昆布」というのが霧多布のある釧路地方に生育する昆布の種類らしい、とは、ネット検索のたまもの。私はまったく詳しくありません。

もしも季語を変えるなら、

 海草をまとふ猟虎や夏の月

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 2

ジグソーの一片欠けし初秋かな

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 初秋やジグソー未完のワンピース

卓鐘さん、「トマト」取り合わせ句への批評・提案句ありがとうございます。

ただ、口語の俳句、私は躊躇しています。

一つに、切れ字が異物のように感じられるということ。「や」「かな」といった切れ字は口語でも使って良い、と説く入門書を見かけましたが、それでも実際に口語文法と切れ字「や」の混在句は、作品鑑賞側としてしっくりこないものがあります。
二つに、これは季語に関することですが、「もしかして昔は季重なりは何ら戒めの対象ではなかったのではないか」と思っているのです。“正岡子規の俳句検索”に当たってみると「土地の名に思ひ出しけり友の顔」(明治21年)や「七夕に団扇をかさん残暑哉」(明治22年)などという句が見つかるくらいで、つまり、昔寛容だったものなら、わざわざ縛りを付け加えて面倒くさくしなくてもよいのではないか。季語にはもっと寛容であってよい、と個人的には思うのです。
・・・すると、単に十七音にまとめられた(切れのない、季語はどうでもよい)口語文は、俳句といっていいのか?

「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡邊白泉)が俳句で、それなら「戦争は女の顔をしていない」(S・アレクシエーヴィッチ著の書名邦題)も俳句か。川柳も俳句?、標語も俳句?、「一二三四五六七八九十」も?(これに「十一十二十三十四」と続けた形が、筒井康隆のパロディ作品中で短歌として収録されています)

と、モヤモヤしてくるのです。

あと、私は「プレバト」を見ていない(番組じたいは知ってます)のですが、挙げられた俳句が「離れすぎ」でないとすると、これは何でもありに見えます。「離れすぎ」という禁忌が、選者にとっては(というより、現代俳句の大勢として)無いに等しい、ということでしょうかね。確かに、入門書で「即きすぎ・離れすぎ」には注意するように、という記述は見かけても、それがどんなものか示す例が見当たらないのでした。

さて、御句について。

・完成しないジグソーパズル、1ピース分の「空虚感・さびしさ」を、「秋の気配」に重ねたといった感じで、面白いイメージだと思いました。
・「ワンピース」に、私は衣服の方を想起しました。漫画を想起した方もいたようで。これは「一ピース」「一片」「ひとかけら」等の言い換えが検討できると思います。
・真ん中にある「未完」が強すぎるのか、カタカナ語が多すぎるのか、「ジグソー」「ワンピース」の二語が一句の中で沈んで見えました。

提案句は、カタカナ語を「ジグソー」のみにし、「未完のワンピース」を「一片欠けし」とし、季語を下五に移動しました。

・・・と、ここまで書いて、「未完のワンピース」と言う語が“連載の終らない漫画”に見えてきました。

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 1

「フルーツの棚に置きたやミニトマト」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: フルーツの棚に置きたやミニトマト

なおじいさん、「トマト」取り合わせ句への批評ありがとうございます。

なるほど、トマトから“日の丸”の連想もありましたか! 作っているときには、まずお題「トマト」ありきで取り合わせ句を作り始めたので、トマトから戦争に向かう連想の矢印は引いていませんでした。

「死と生(生命力)」とか「暗さと鮮やかさ」とか「抽象と具体」とかいった対比は、投句までに意識にありましたが。

「わかるように書いてある本に巡り会っておりません」。
私は、俳句の入門書の多くについて、Amazon読み放題サービスを使って、電子書籍版の入門書を読んでは削除、読んでは削除と渉猟していたので、どういう記述がどの本のどこにあったかは基本的に覚えていないのですが、YouTube動画であれば「夏井いつきの俳句チャンネル」の中で一物仕立てと取り合わせの説明をしていたのがあったと思います。

ただ、藤田湘子著「新版 20週俳句入門」。これは先の動画「~俳句チャンネル」の中で、夏井いつき本人の著作でないのに紹介されていたので、読み放題ではなく、購入して読みました。一物仕立ての作句方法については本書では触れない、と言い切っていて、全体的に取り合わせ(この本の中では「配合の句」と言ってます)について書かれた本です。取り合わせの方が作句が容易だというレクチャーの急先鋒みたいな本なのでしょうかね。

さて、御句について。

・句意は自然にストレートに伝わり、何も難を感じません。
・「フルーツ」を「果物」に変えるか? と考えてみましたが、「ミニトマト」とのバランスも取れていて、別に変える必要もないと思います。

私のよく行くスーパーでは、壁際で果物、カット野菜、葉物、きのこ、根菜・いも・玉ねぎ等と分類される棚には置かれず、中央部分に傾斜をつけて並べられています。裏にまわるとパプリカと茄子がいます。これらは、季節によって参入してくる、イチゴ、西瓜・メロン、サクランボなどとエリアの奪い合いがあります。売る側も、色がありますから、目立たせたいのでしょう。そういえば、トマトは、年中居座ってますね…。位置的には、果物と野菜の境界といったところでしょうか。

 トマト坐す青果売場の真ん中に

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 1

「茎の香の指に残れりトマト捥ぐ」の批評

回答者 長谷機械児

添削した俳句: 茎の香の指に残れりトマト捥ぐ

よし造さん、「トマト」取り合わせ句への批評ありがとうございます。

対句表現とのご指摘。他の添削の中でも時折「対句」という語を見かけたのですが、私は初めて目にする言葉(入門書レベルでは問題にされない?)なので、ご教示いただけたら幸いです。

とりあえず、“対句表現”と聞いて、思い浮かぶ名句は「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」(三橋鷹女)。なるほど、私の句も2つのフレーズを同じくらいの大きさにし、助動詞をそろえています。この形は、私の句では“偶然の産物”でしたが、これが自分が思っていた以上に効いてしまった感があります。

“偶然の産物”と申しますのは、お題「トマト」先にありきの取り合わせ作句だったために、「トマトや」とは始められず(これだといきなりの字足らず)、「赤茄子や」と始めるのは避けたく(投句2句目も「赤茄子」というのはちょっと・・・)、ということで、トマトの1フレーズを「トマトは○○○○○」で末尾に措くと先ず決めて作句に入った、ということです。これで、同じくらいの長さの2つのフレーズをぶつけ合うこととなりました。そして、「トマト」にぶつける語を「戦争」に決めました(前日にイサクさんの「八月十五日」句に接していたので、割と近くにあった言葉です)。二物衝撃とするからには、ぶつかる前に転倒してしまうような表現は避けたかったので、各フレーズは読み手がなるべく不自然さを感じない、いわば“当然”のものにし、形を整えました。

こういった経緯の作句なので、「戦争は愚かなのは当然だ、トマトが赤いのは当然だと読めます」というのは、ある意味ではその通りかもしれません。

さて、御句について。

・私自身はトマトを育てた経験はないので実感はないのですが、茎にも香があるものなのですね。
・形式的に気になるのは、語順でしょうか。「茎の香」と直接つながるのは「残る」、「指」とつながるのは「トマト捥ぐ(手)」で、それぞれ互い違いに登場している感じがします。

素直に一文に通せば

 トマト捥ぐ指に茎の香残りたり

といった感じになると思います。ただ、これを提案句にするのには躊躇があって、「トマト捥ぐ」という動作の主体は「手」で、「トマト捥ぐ指」は変か、と言って、「トマト摘む指」だとミニトマトみたいになるなあ、と。提案句は無しで批評のみ、とさせていただきます。

・・・と、投稿しようとしたところに、なおじいさんの提案句がありました。「トマト捥ぎ」で始まる提案句を推します。

今後とも、よろしくお願いします。

点数: 0

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