卓鐘さん、「トマト」取り合わせ句への批評・提案句ありがとうございます。
ただ、口語の俳句、私は躊躇しています。
一つに、切れ字が異物のように感じられるということ。「や」「かな」といった切れ字は口語でも使って良い、と説く入門書を見かけましたが、それでも実際に口語文法と切れ字「や」の混在句は、作品鑑賞側としてしっくりこないものがあります。
二つに、これは季語に関することですが、「もしかして昔は季重なりは何ら戒めの対象ではなかったのではないか」と思っているのです。“正岡子規の俳句検索”に当たってみると「土地の名に思ひ出しけり友の顔」(明治21年)や「七夕に団扇をかさん残暑哉」(明治22年)などという句が見つかるくらいで、つまり、昔寛容だったものなら、わざわざ縛りを付け加えて面倒くさくしなくてもよいのではないか。季語にはもっと寛容であってよい、と個人的には思うのです。
・・・すると、単に十七音にまとめられた(切れのない、季語はどうでもよい)口語文は、俳句といっていいのか?
「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡邊白泉)が俳句で、それなら「戦争は女の顔をしていない」(S・アレクシエーヴィッチ著の書名邦題)も俳句か。川柳も俳句?、標語も俳句?、「一二三四五六七八九十」も?(これに「十一十二十三十四」と続けた形が、筒井康隆のパロディ作品中で短歌として収録されています)
と、モヤモヤしてくるのです。
あと、私は「プレバト」を見ていない(番組じたいは知ってます)のですが、挙げられた俳句が「離れすぎ」でないとすると、これは何でもありに見えます。「離れすぎ」という禁忌が、選者にとっては(というより、現代俳句の大勢として)無いに等しい、ということでしょうかね。確かに、入門書で「即きすぎ・離れすぎ」には注意するように、という記述は見かけても、それがどんなものか示す例が見当たらないのでした。
さて、御句について。
・完成しないジグソーパズル、1ピース分の「空虚感・さびしさ」を、「秋の気配」に重ねたといった感じで、面白いイメージだと思いました。
・「ワンピース」に、私は衣服の方を想起しました。漫画を想起した方もいたようで。これは「一ピース」「一片」「ひとかけら」等の言い換えが検討できると思います。
・真ん中にある「未完」が強すぎるのか、カタカナ語が多すぎるのか、「ジグソー」「ワンピース」の二語が一句の中で沈んで見えました。
提案句は、カタカナ語を「ジグソー」のみにし、「未完のワンピース」を「一片欠けし」とし、季語を下五に移動しました。
・・・と、ここまで書いて、「未完のワンピース」と言う語が“連載の終らない漫画”に見えてきました。
今後とも、よろしくお願いします。
添削のお礼として、長谷機械児さんの俳句の感想を書いてください >>
2000ピース純白地獄というやつを先日完成しましたが、最後1ピースだけ無くしてしまった。。取り寄せたんですが、未完のままおいてます。この表現じゃ伝わらないかなぁ。