「正午雨模様八月十五日」の批評
こんにちは。
いつも的確なコメントありがとうございます。
青トマトのコメント、早速ありがとうございます!
とにかくすべてを見抜かれています。
これは「取り合わせ」のつもりの句です。
青トマトと中七下五を取り合わせたのですが。
このまま行ったら擬人化に見えはしまいか?と思いながらそれを解消する方法が思いつかず、みなさんにどう見えるか聞いてみたくて。
コメントに「取り合わせ篇」とせずに、「詩情篇」と置き換えて
「望郷の目で見つめている者は?」という文を「望郷の目で見つめているものは?」としてみて。望郷の目で見つめている者は「私であり、または読み手」です。
これが取り合わせとしたら、この望郷の想いは青トマトに託せているのか、と、どうすれば、擬人化に見えなくなるか、をみなさんにお伺いしたかったのですが、そう書かずにまずは、取り合わせって思ってもらえるかな?のスタートをしてみました(*'▽')でもその悩みを見抜かれてましたね。
青トマトを下五に持って来ればいけたのかなー。「遠く故郷を見つめをり青トマト」うーむ。そもそも「青トマト」でうまく効いてる?うーむ。
みなさんのご意見をいただけたらありがたいです。
さて、御句。八月十五日という日をそして正午という時間を雨模様、すべて漢字表記で、いろいろな想いを託されているのかと。雨の中黙禱のサイレンが響くのを頭の中で浮かべています。17音で語るには難しい季語で私にはなかなか手が出せません。誤読がおきると八月の季語はとくに嫌で。御句は、その辺り丁寧に言葉・表記選びをなされていて勉強になります。
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難しい季語でした