「返信は作法にあらず捩れ花」の批評
こまった婆さんさん、こんにちは。初めまして。
コメントを拝読しました。その中で、お問いかけの点につき、私は関係者のような気がしますのでお答えします。
>誰がいつ言い出したかは知りませんが、「返信」することが何故「マナー」であり「作法」なんですか?
誰がそのように決めたのですか?
→こちらについてお答えします。このサイト「俳句
添削
道場」の管理者の松浦禎真さんがお決めになっています。
添削コメント欄の最後に、「添削のお礼として、「◯◯さんの俳句の感想を書いてください」とありますよね。これに沿っています。
このサイトは無料で確かに出入りも自由ですが、既成のサイトをお使いになる以上は、創設者のおっしゃることに従うべきではないでしょうか。
それに不都合があるようであれば、何もこのサイトを利用せずに、独自でこうしたサイトを立ち上げればよろしいのではと思います。
私たちは、この俳句添削道場を利用させていただいているので、利用する以上は、そうした、代表者の意向に沿うべきだと思っています。
これは、ネットのサイトに限らず、公共のものを使うのであれば、その決まりを守るべきだと思うということです。
>ましてや返信が無いからと言って、マナーを知らないとか、無作法とか決め付けてその人を批判する権利は誰にもない筈です。
→この点について回答します。確かにおっしゃる通りですね。ただ、批判まではしなくても、「このサイトでは、管理者さんがそのように返信を奨励している」ことを教えてあげるべきですよね。
しかし、このサイトでは、特に序列とかがなく、まして先生とか指導者とかが決まっているわけではないので、皆さん、表立っては言いにくいのだと思います。
俳句を見てほしいといらっしゃるような方々は、そういう「管理者のお願い」とかは見て守ってくれると思ってしまうからでしょうか。
このような自由な空間に「作法」とか「マナー」とかを振りかざすことは、反って自由を束縛するのではと危惧致します。(自由とは言え悪意のコメントは論外)
→この点についてお答えします。確かに出入りなどは自由ですね。ですけど、どんな自由なところにも、作法とかマナーとかはあるのではないでしょうか。
例えばですが、街に無料の公衆浴場があったとします。誰でも24時間出入り自由。その場合、そこには、作法とかマナーとかはなくてもいいでしょうか?
私はそうは思いません。そういうところこそ、利用者のマナーとか思いやりとかで維持されているのだと思います。
それと全く同じではないかもしれませんが、似たようなところはあると思います。
あと、管理者の松浦さんは、不快なコメントは受け取らなくても済むように、ブロック機能というものを設定してくださっています。
これでブロックしますと、相手のコメントは見られずホッとしますが、問題は、一つは、周りの人には見えますから「◯◯さんは、△△さんに返信していない」と思えて、また、当のブロックされたと相手は自分がブロックされているとは知りませんので、コメントしてきて「返事がない!」と憤慨なさる場合があることです。「あなたは◯◯さんからブロックされています」という表示は出ませんからね。
でも、おそらく、こうしたブロック機能を使ってまで拒絶したい相手というのは、長年ここで意見交換をしてきて、その挙げ句にもはや意見が合わない、何も参考にならない、ということでブロックされるわけですから、初めての方や経験の浅い方がブロックする、されるというのはあまり考えにくいですね。
なんだかとても長くなってしまいました。
こまった婆さんさんのおっしゃることにいちいち反論しているわけでは全くありません。お問いかけのところにお答えさせていただいたつもりです。
私の気持ちが少しでも伝われば幸甚に存じます。よろしくお願いします。