「春着の子父母の歩みを追ひ抜きぬ」の批評
回答者 なお
添削した俳句: 春着の子父母の歩みを追ひ抜きぬ
慈雨さん、こんにちは。
拙句「脱ぎ捨てし」にコメント有難うございました!おっしゃる通りだったり、いや、それは違うのです、とか色々ありますが、もう少し皆さんのご感想をお聞きしてから種明かし(偉そう)させていただきますね。ただ、誤解ということはないですよ。私の先生がおっしゃっていましたが、「誤解はする方が悪いのではない、させる方が悪いのだ」と。
次に、句選の結果を教えてくださって有難うございました!すっかり忘れていて、慈雨さんに言われて、えっ、そうなんだ!?と結果を見に行きました。母が「浜千鳥」の歌が大好きで、私がピアノで弾いてあげるといつも涙ぐんでいたので、それを千鳥の声に変えて詠んでみました。
さて御句!拝読しました。いい句ですね。一読して、我が子の成長を喜ぶ親の気持ちが伝わってきます…と申し上げたいところですが、ヒッチさんのおっしゃる通り、父母がちょっと引っかかります。「春着の吾子」となっていないので、どこかの親子連れを、客観的に見ている句かもしれない。それならそれでいい句です。それに、自分の子が我々両親を追い抜いて行ったとしても、その場合でも自分たちのことを「父母」と言うこともありだとは思います。
要するに、どちらも取れるかと。
それよりも、私は追い抜くという動作よりも、「いつのまにか先を歩くようになった」、という感慨を入れたいかなと思いました。
・先を行く春着の吾子の足軽く
・春着の子いつしか父母の前を行く
・氏神に父母の手を引く春着の子
よろしくお願いします。
点数: 3