「満月は俺のことさえ見透かして」の批評
回答者 なお
添削した俳句: 満月は俺のことさえ見透かして
幸福さん、こんにちは。
再訪です。
怪獣の六日の句にコメント有難うございました!
さすが幸福さん。なんて素晴らしいご鑑賞でしょう!
私はそういう光景は全然考えていませんでしたが、たしかにそれってありますね!面白いです。
「いいね!」を5回くらい押してしまいましたよ(笑)。
これからもよろしくお願いします。
点数: 1
回答者 なお
添削した俳句: 満月は俺のことさえ見透かして
幸福さん、こんにちは。
再訪です。
怪獣の六日の句にコメント有難うございました!
さすが幸福さん。なんて素晴らしいご鑑賞でしょう!
私はそういう光景は全然考えていませんでしたが、たしかにそれってありますね!面白いです。
「いいね!」を5回くらい押してしまいましたよ(笑)。
これからもよろしくお願いします。
点数: 1
回答者 なお
添削した俳句: 我が背丈超ゆ成人の日の我が子
気まぐれ亭さん、こんにちは。
御句拝読しました。お子さんのご成人おめでとうございます。また、お子さんに背を抜かれた!それも良かったのでは?
私は二番目までは私より小さいのですが、末の子に抜かされました(笑)。
さて御句、おめでたい句ですのでこのままいただきたいところですが、気まぐれさんですのでちょっとお伝えします。
気になりましたのは、若干報告調になっていることと、「我が」が二度も出てくるところです。俳句は一人称と言いますし、他人の子が他人の背を追い越しても別に感慨はないですよね。「我が子」か「我が背」のどちらかでわかっていただきましょう。
そこで私は、次のようなのもありかと考えました。
・成人式見上げるほどの我が子かな
・吾子に背を超され成人の日となり
・成人の日や子に背丈追い越され
あらためておめでとうございます。
点数: 2
回答者 なお
添削した俳句: 美しき輝く稲穂よ太陽よ
今西峻介さん、こんにちは。初めまして。
御句拝読しました。俳句はできるだけ今の季節を詠むほうがいいのは、先の方々から出ていますね。
次に文法的なことですが、「美しき輝く稲穂」というのは、必ずしも間違いではないですが、違和感があります。ご自身のコメントにあるように、「美しく輝く稲穂」のほうが素直です。
また、「よ」でリズムを取ったとのことですが、俳句は五七五が基本で、これが最もリズムが取れるのです。ところが御句は、「よ」を付けたために中の句が八音になっています。これは中八といって、句作上で避けるべきと言われているものです。
あと、俳句には季語があり、その季語は、かなりの深い意味を持っているのです。例えば、お詠みになっている「稲穂」ですが、これはこれ自体で、秋の陽に黄金色に輝いて、豊かな収穫を喜んでいるというような意味を含んでいるのです。
それから考えますと、御句は、「稲穂」のことを説明しているだけのようになりますね。
もう一段階、稲穂をよく観察して詠んでみてもいいと思いますよ。
例えばですが、こんなのもありかと思います。
・一斉に風にうなづく稲穂かな
こんなのは一例です。またこ投句ください。
点数: 1
回答者 なお
添削した俳句: あなたにはそのほうがいい雪の夜
あやめさん、こんにちは。
御句拝読しました。本句だけでなく、これまでのあやめさんのこ投句を拝読していて、ずっと思っていたのですが、気まぐれさんのコメントで、私も確信しました。
これはもちろん強制ではありませんが、あやめさん、短歌をやってみませんか?
あやめさんのように思い切り素直に心情を詠むのは、ごめんなさい、正直に言って、俳句には合いにくいと思っていました。もちろん全くダメではない。以前それが売りだった私が言うのですから本当です。
しかし短歌なら、もっと心情を吐露する余地があります。昔はダメでしたが、俵万智さんが壁を崩してくれました。
例えば本句。「あなたにはそのほうがいい雪の夜」これは俳句の世界では、具体性がなく光景が思い浮かばないとかで、高い評価は得られないと思います。しかし短歌にしてみましょう。
・もう会わないほうがいいとは思わないそのほうがいいと君は言うけど
取り急ぎ作ってみました。あやめさんのように複雑な心境を詠むには、五七五より五七五七七のほうが許容範囲が広いかもしれません。
点数: 2
回答者 なお
添削した俳句: あなたにはそのほうがいい雪の夜
あやめさん、こんにちは。
再訪です。
まずはお詫びします。ごめんなさい。
昨日は午後いっぱい仕事が遅くまであって、このサイト開きませんでしたので反応が遅くなりました。重ねてお詫びします。
このようなことになっているとは全く思っていませんでした。
まず、いなくなってほしいなどとは夢にも思っていませんし、そもそも言っていません。
あやめさんを追い込むつもりもなければ、ここは俺の住処だともまるで思っていません。
誰が俳句をやろうと短歌をやろうと、小説を書こうと個人の自由です。
私の意図は、俳句もいいけど、短歌もやってみたら?ということでした。
基本的には、俳句においては心の動きを詠むより、目の前の景色を詠んでそれで心情を想像してもらうほうが一般的です。ただ、短歌では、目の前の景色もいいけれど、心に思ったことをストレートに出すことが認められています。
特に現代短歌では、俵万智さんの「サラダ記念日」以来、その傾向が、強くなりました。
自慢ではないですが、私は短歌も俳句もやっておりますが、短歌のほうが多く入選させていただいています。だから余計にわかるのです。
私があやめさんにお伝えしたかったのは、例えで言うと、野球部に足の速い子がいて、監督が、「お前、足が速いから陸上やったらどうだ?」と言ったようなものかもしれません。監督としては、その子の才能をより伸ばすつもりで言ったのでも、その生徒にしてみれば、「監督から出て行けと言われた〜野球やめろと言われた〜」となるかもしれませんね。その辺の配慮が足りませんでした。申し訳ないです。
つい先日、あやめさんが私のコメントを「滑稽だ」と言ったことについて、あやめさんはユーモアがあるというおつもりだったのに、私は「バカバカしい、ふざけている」という意味かと残念に思った。すぐにあやめさんは謝ってくださった。そんなことがあったから、私はより気をつけなくてはいけないのに、言葉が足りませんでした。と言うか、余計なことを言ってしまったのかも。
長くなり申し訳ありません。
最後に、私は調子に乗って出しゃばり過ぎました。良かれと思って色々アドバイスしているつもりでしたが、だからこういう、夢にも想定しないことになるので、これからはすこし控えます。
あやめさんは変わらずに、これまで同様、いやこれまで以上に頑張って作句・投句されますよう、お祈りいたします。どうかご健康に気をつけてお過ごしください。
点数: 5
最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。