「異常気象秋のもみじを襲う影」の批評
初めまして。俳句
の世界へようこそ。
まず、俳句は捻らないといけないというものをなくすべきです。短い形式で詩を詠むことが必要ですが、そのための知恵が「説明をすることなしに、見えたものを読む」というのが初心者にお勧めする方法です。
その観点から行くと、2点問題があります。
「異常気象」
これは見えたものではなく、知識や説明ですね。何か光景を見て、異常気象だとは五感は捉えないはず。知識が、現象と異常気象というものを結びつけているのでそれは排除します。「異常気象」がニュースや新聞の見出しを今まさに見ているというなら成立しますが。
「襲う影」
こちらは抽象的すぎて、なんのことかわかりません。俳句は湾曲表現をするべき、俳句らしい表現をすべきという固定観念をなくしましょう。まずは見えたものを素直に読めば良いのです。こういう抽象的な表現に逃げないで。
また、「もみじ」といえば秋の季語
なので、「秋の」は不要です。(色が変わらない紅葉を言うために、秋のとつけたのは理解しますが。)
なかなか、異常気象によって、色が変わらないなぁと言う理屈の感慨は詩に昇華するのは相当な技術が必要ですが、まずは見たままの感想を書いてみましょう。
紅葉とならぬもみぢや暮の秋
(紅葉と暮の秋の季重なりですが内容的にしょうがない「暮の秋」は秋の最後を意味する季語です。)