「早暁の空気の軽き春着かな」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 早暁の空気の軽き春着かな
こんばんは。
形はできている句だと思いますが、「空気」だけ浮いて見える感じもあります。「空気の軽き」中七全体が、なんとか説明しようと入れた単語っぽくは感じます。
もしかしたら、「春着かな」で締めるのを諦めた方が良い句材かもしれません。
・春着着て朝の空気の軽さかな
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 早暁の空気の軽き春着かな
こんばんは。
形はできている句だと思いますが、「空気」だけ浮いて見える感じもあります。「空気の軽き」中七全体が、なんとか説明しようと入れた単語っぽくは感じます。
もしかしたら、「春着かな」で締めるのを諦めた方が良い句材かもしれません。
・春着着て朝の空気の軽さかな
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 亀戸のカフェの箸置き梅の花
こんばんは。
「梅の花の箸置き」季節感はありますが、「箸置き」では季語にはならないですね。
コメント抜きで句だけを見た場合、「梅の花が咲いている」句と見ることは可能な形です。
この場合、「亀戸の」という地名が効いているかどうか?
おそらくですが「カフェの箸置き」というコンパクトな風景の句ですので、「亀戸の」という地名で説明するよりも、「カフェの箸置き」という映像を生かせる上五の方がよかろうと思います。
・桃色のカフェの箸置き梅の花
まだいろいろ推敲可能なポイントはありそうです。
点数: 1
回答者 イサク
添削した俳句: 海の神祀り新海苔豊かなり
こんばんは。
「り」の韻を狙ったのはわかりますが、「祀り」は人間つまり自分たちの行動の動詞のためか、違和感を感じます。
「海の神」は言わずとも祀られているもの、というのも感じてしまいますね。
また、「新海苔」という季語を使う以上「寒海苔」「初海苔」「海苔」との差別化が欲しいところですが、この句で「新」感が出ているかというと難しいところ。「豊かなり」という下五着地のために期間が長く感じるからでしょうか?
海産物季語を採る、という句で「海の神の恵み」的な発想も、類想回避の工夫が要りそうです。
「海の神」を生かした提案句が上手く出てきません・・・
全く別の句になりそうなので提案句は保留します。いいアイデアがあれば再訪します。
点数: 0
回答者 イサク
添削した俳句: 成人の日の払暁の顔洗ふ
こんばんは。
「の」の連続、上手く使えば嫌いではないのですが、この句では句が平坦になってしまっている気がします。
句またがりですが切れを入れてみます。
・成人の日や払暁の顔洗ふ
点数: 3
回答者 イサク
添削した俳句: 児童書の多き書店や春を待つ
こんにちは。
綺麗な句なんですけどね・・・
◆特殊な環境を除けば「児童が多い街」⇒「その親世代も多い街」は納得できますので、コメントの「子育て世代の多く行き交う街」は理屈では想像できます。
ですが、それを想像する前に句の鑑賞が完了してしまうので、句だけではそこまで想像が至りませんでした。
◆きれいな句なんですが・・と思っていたら「児童書の多い書店」が「春を待っている」という理屈あるいは擬人化っぽい流れで句が作られていることに気付きました。ここが鑑賞の膨らみを妨げている気がするような。そうでもないような。
「春待つ」は便利な時候季語ですが「待つ」という動詞を含む季語。「待っている主格」が曖昧なので、「何が春を待っているか」という意味が句の構造で変化します。ここは意識した方が良いようですね。勉強になります。
語順あるいは季語を変えるとしっくりくるかな?
・待春や書店に児童書の増えて
・児童書の多き書店や春隣
点数: 2
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