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「あをに染まぬ鳥ゐる切手文化の日」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: あをに染まぬ鳥ゐる切手文化の日
こんばんは。
110円切手の画像確認しました。
中央の鳥は白いですが、後方には青に染まっている鳥が結構いますね。
◆「青に染まらない鳥がいる切手」が作者の感動ポイントで主な句意で作者の感想なのですが、これを説明したい、となると問題が多そうです。五音の季語を使う場合、残りの十二音で「説明」を回避して「詩」を作らねばなりません。
せめて「ゐる」をやめて、
・青に染まぬ鳥の切手や文化の日
◆結局句の中で「切手」というネタバラシはしています。
ならば「110円切手」と言ってしまえば切手の映像そのものは伝わります。
作者の感想はどこまで「俳句の詩」に昇華できるのか?
受け手に見えている映像は全く同じで、季語も「文化の日」のまま、こういう形も作れますという提案句お置いておきます。正解はありません。
・百十円切手に鳥や文化の日
点数: 1
「入相の色なき風や穂も煙る」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 入相の色なき風や穂も煙る
おはようございます。はじめまして。
俳句初心者様ではなく、多少なりとも実践経験のある方とお見受けします。
全体を見ると「入相」など風景を出す単語が選ばれて使われており、俳句として成立している句だと思います。
ですが、例えばどこかで賞を狙うような句とするなら、一旦推敲をお勧めするポイントは細かく多数考えられます。
◆下五「穂も」の助詞「も」。散文的な使い方になっており、作為が目立っております。
この句で「穂」以外に「煙る」ものとはなんでしょうか?
なければ「も」よりも「の」をお勧めする句形です。
◆下五「煙る」比喩ですね。煙のようだということです。独創的な比喩で悪くないと思います。
コメントに「たなびく煙のように」と記載があります。【たなびく(棚引く)】は「横方向に長くかかる」という意味なので、御句の「穂」という植物の比喩としては合わない気がしています。
とはいえ、句は「煙る」。「煙る」では上記の「横方向に長くかかる」ような映像は出ないと思いますが、「煙る」を使う分には問題なしと言うことで。(「なびく(靡く)」の間違いな気がしなくもないですが・・)
◆「穂」さて、この言葉が曲者で、季重なりを回避するため?「穂」としたことが悪目立ちしているように感じます。
「穂」は植物の花序のことを指す(蒲の穂、穂薄、草の穂)こともありますし、実のことを指す(稲穂)場合もあります。
風に吹かれている「穂」。この句はどちらか。コメントからは「稲穂」のようですね。とすると、「色なき風」と「稲穂」の潜在的な季重なりの句ではあります。
◆また、季語を使った因果関係も気になるところです。
「色なき風」⇒「(穂が)たなびく」と、因果の原因として風の季語が使われています。
◆たとえば「稲穂波」という季語が存在してまして、この季語で中七下五の風景が出てしまうことも、若干気になっています。
・入相の風に煙れる稲穂かな
点数: 0
「秋草や雑の字払ひて立ちにけり」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 秋草や雑の字払ひて立ちにけり
おはようございます。他の方のところに少し気になったコメントがありましたので。
意図せぬ季重なり。
季語ではないと思っていたものが指摘された場合、
「自分の歳時記にないから自分は(あなたは)悪くない!」という主張よりも
「季語として使われることがあるという知識を得ました。ラッキーでした」ぐらいに扱って、次へ進んだ方がよいと思います。
「眼張」、お値打ちな歳時記にも掲載しているものはあります。
さほどマイナーな季語というわけではないですし、「相当大分な歳時記」という表現は、少しいただけないかな・・
歳時記は選者・編者や歳時記の方針でバラつきがあるのは前提です。
(特に魚類や虫は差があるように思います)
季重なりという指摘をされるのが嫌なら、
「旬」がある食べ物や収穫の季節が決まっているもの、季節で咲く花、季節で出てくる虫などは、自分の歳時記に掲載がなくても季節性があるものとして見たが無難です。
自分の持っていない歳時記に掲載されていそうな季語を調べるのは、どうしてもネット頼みになりがちです。ネットも「ネットに書いてあったから正しい」と思い込まず、上手く使えば便利な情報源ということには間違いないと思います。
私は、季重なりを指摘されたら「知らないことを教えていただきありがとうございます」と思うので、そこまではしませんが・・
点数: 2
「古き友影伸びゆけば道果てず」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 古き友影伸びゆけば道果てず
おはようございます。
俳句の勉強ということですね。俳句いいですよー
いわゆる一般的な【俳句】を目指すのであれば
◆季語ひとつが欲しいです。御句には季語がないですね。
◆俳句は季語の力を借りて、季節の移り変わりを思いつつ詩を感じるものです。
季語のない俳句(無季俳句)もあるのですが、季語の力を借りない分、詩的にならずに単なる「五七五の十七音」になりやすいです。
季語を入れるコツですが、書かれていることを「今思っている」なら今の季節の季語、「昔思った」ならその頃の季節の季語。まず季節の雰囲気を感じさせるところからスタートします。
その上で「楽しい、嬉しい」と思ったなら楽しい気持ちになる季語、「淋しい、悲しい」と思ったなら淋しい気持ちになる季語、といった感じです。
◆御句「古き友影伸びゆけば道果てず」意味がわかりにくいところを分析します。
日本語は前から順に読んでいきますので、前から順に。
1.「古き友」・・「昔の友達」ですね。今も友達かどうかはわかりませんが、読者が思い思いに想像すればよいと思います。
2.「影」・・「誰の(何の)影だろう?」と少し疑問が湧きます。普通に考えれば「友の影」です。
3.「伸びゆけば」・・「~ば」というのは条件の言葉です。この句の場合は「影が伸びた場合は」「影が伸びたので」くらいの意味になると思います。でも、まだ誰の(何の)影かわかりません。
4.「道」・・日本語の「道」にはいくつか意味がありまして直前に「影」とあるので、ここはリアルな「道路」と受け取るのではないかと。ここで、作者の出したい意味が一旦ズレます。
5.「果てず」・・「道が果てないように見える、感じる」という意味ですね、ここは1~4と矛盾しません。
ということで、この俳句の難点は「季語がない」「影が何かわからない」「道が実際の道路であるように感じる」という3点かな?と思いました。
◆俳句は、五七五の17音、という非常に短いものです。
入れたい思いを全部入れると17音に入りません。
なので、上記の難点を解消するために、「言わなくてもいい言葉」を削っていくことも必要です。
1.「古き友」の「古き」はわざわざ説明する必要があるかどうか。十七音に収めたいということを考えると、「友」だけでも意味は通じそうです。
2.「影伸びゆけば」この部分が俳句をわかりにくくしています。コメントで説明されている意味を考えても、あまり効果的な言葉ではありません。この部分をまるごと「読者がわかるような言葉」に置き換えてもよいと感じます。
3.「道果てず」この句で言いたいこと、のように思います。できるだけ残したい言葉だと思います。
4.季語を何か入れてみます。今の季節なので秋の季語、前向きな気持ちなので前向きになれそうな季語を。
たとえば、という句を出してみます。
季語は「秋の風」。
・友と行く新たな道や秋の風
⇒助詞の「と」を入れて「友と自分がいっしょに」という意味を入れました。
・秋の風果てなき道を友とゆく
いかがでしょうか。
点数: 3
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