「入相の色なき風や穂も煙る」の批評
おはようございます。はじめまして。
俳句初心者様ではなく、多少なりとも実践経験のある方とお見受けします。
全体を見ると「入相」など風景を出す単語が選ばれて使われており、俳句として成立している句だと思います。
ですが、例えばどこかで賞を狙うような句とするなら、一旦推敲をお勧めするポイントは細かく多数考えられます。
◆下五「穂も」の助詞「も」。散文的な使い方になっており、作為が目立っております。
この句で「穂」以外に「煙る」ものとはなんでしょうか?
なければ「も」よりも「の」をお勧めする句形です。
◆下五「煙る」比喩ですね。煙のようだということです。独創的な比喩で悪くないと思います。
コメントに「たなびく煙のように」と記載があります。【たなびく(棚引く)】は「横方向に長くかかる」という意味なので、御句の「穂」という植物の比喩としては合わない気がしています。
とはいえ、句は「煙る」。「煙る」では上記の「横方向に長くかかる」ような映像は出ないと思いますが、「煙る」を使う分には問題なしと言うことで。(「なびく(靡く)」の間違いな気がしなくもないですが・・)
◆「穂」さて、この言葉が曲者で、季重なりを回避するため?「穂」としたことが悪目立ちしているように感じます。
「穂」は植物の花序のことを指す(蒲の穂、穂薄、草の穂)こともありますし、実のことを指す(稲穂)場合もあります。
風に吹かれている「穂」。この句はどちらか。コメントからは「稲穂」のようですね。とすると、「色なき風」と「稲穂」の潜在的な季重なりの句ではあります。
◆また、季語を使った因果関係も気になるところです。
「色なき風」⇒「(穂が)たなびく」と、因果の原因として風の季語が使われています。
◆たとえば「稲穂波」という季語が存在してまして、この季語で中七下五の風景が出てしまうことも、若干気になっています。
・入相の風に煙れる稲穂かな
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夕暮れのゆるやかな秋風によって、穀物畑がたなびく煙のように揺れるさま