「鉢ほどの甘藍を婆抱へけり」の批評
回答者 かぬまっこ
今日は(*^^*)
私の白靴のシャンゼリゼ通り句にコメントありがとうございます。
言われてみればザ昭和って感じの句ですよね。
どっぷり昭和の人間なので(--;)
御句ですが「鉢ほどの」とは大きいという意味での形容と思います。しかしながら、一口に鉢と言っても小さな物もあるので適切ではないと思いました。
点数: 0
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作者 負乗 投稿日
回答者 かぬまっこ
今日は(*^^*)
私の白靴のシャンゼリゼ通り句にコメントありがとうございます。
言われてみればザ昭和って感じの句ですよね。
どっぷり昭和の人間なので(--;)
御句ですが「鉢ほどの」とは大きいという意味での形容と思います。しかしながら、一口に鉢と言っても小さな物もあるので適切ではないと思いました。
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回答者 イサク
こんばんは。
上五「鉢ほどの」、「大きい」と言いたいことはわかるのですが「鉢」ぐらいのというサイズ感がよくわかりませんね・・・
「婆」もこの句では、せっかく登場させた意味があまりなくなっているので、婆を登場させた意味を付ける方向にするか、省略する方向(例えば自分が抱えている映像になります)を選ぶか・・・と思います。
・甘藍や頭ほどあり抱へけり
・孫ほどもある甘藍を婆抱へ
点数: 1
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回答者 よし造
拙句・・お題が賞味期限切れ?うまいことをいいますね。
御句・・掲句は重複表現と言われそうですが、重さもあるから。私も婆は不要と思います。婆を強調するのなら、「甘藍を抱へて婆のよろめけり」。
点数: 1
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「甘藍」はキャベツ。
婆はババ、と読んで下さい。
どでかいキャベツがあるのです。