「山蝶や乗り間違へりこの電車」の批評
こんにちは
◆見た目で三段切れしていますね・・
「山蝶や(切れ字)乗り間違へり(終止形の切れ)この電車」
◆見た目の三段切れのせいもあって、意味を受け取りにくくなっています
私は初読で『電車を乗り間違えたのは自分であり、乗り間違えた先でいつもは見ない山蝶と出会った』という句だと思いました
本来は【山蝶の一物】なのですね。まずは誤読を防ぎたいです
◆「乗り間違えた」というのは作者が蝶に対して想像した擬人化の比喩
ダメではないですが、ここにも誤読のタネがありそうです
◆「山蝶」これが意味深な単語でして、受け手の深読みを誘います
わざわざ「山の蝶である」と言っていますので、自分が普段乗っている電車ではないと強調したい印象を受けます。そこに「自分が乗り間違えた」という誤読への誘導もありそうです
御句の本来の主題は「蝶が電車に迷い込んできた」でした。
「山蝶」の「山」には映像がありません(しいて言えば「山ではない場所では見ない蝶」くらいの説明です)ので、具体的な映像のある蝶の名前に変更するのが良いかと思います。蝶の種類がわからないのであれば「山」を強調するメリットはこの句では薄い気がします。
どうしても「山の風景」という説明をしたいのであれば「山の」という風にした方がよいかと・・
ひとまず、切れを減らす・比喩を比喩とわからせるなどして受け手に一物句と理解させるのがよいと思います。その上で、言いたいことを詰め込むのではなく、どれを残すかを考えてみることかと思いました
・この蝶は乗り間違へりこの電車
・山蝶は山の電車に迷い込み