「少年は寡黙となりし風光る」の批評
おはようございます。はじめまして。
意味は分かる句ですし、映像も出ていると思います。
文法の面で一点問題が。【連体形】のことです。
御句ですが
◆「寡黙になった」と気付いたのは少し前(で、今も継続している)ので、過去形を使うのは必ずしも間違いとは言えません。
ただ、この「し」は過去の助動詞「き」の【連体形】になっています。連体形ということは名詞などの「体言」を修飾する(中学の授業でやっています)のですが、修飾すべき相手がおりません。
俳句
には「切れ」という用法があります(説明が長くなるので、他でお調べください)
ここは季語
の前で【終止形】にして「切れ」てもよかろうと思いました。
たとえば過去の助動詞「き」の終止形「き」です。
・少年は寡黙となりき風光る
私としては、「無口となったと気づいた→今も継続している」ことから、完了継続の助動詞の方が好みです。
たとえば完了の助動詞「ぬ」です。
・少年は寡黙となりぬ風光る
以下、コメントから、もうひとつ意見を付け加えます。
『記録として俳句を作る』アリだと思います。がんがん作ってください。
ただし、「記録文書」としては、俳句は「普通の文書」に絶対に勝てません。
御句「少年は寡黙となりし風光る」他の方の提案句「風光る孫の寡黙の思春期か」
これらよりも、高橋様自信のコメント
『中学生になった孫は突然のように無口になりました。親子三代の遺伝子なのでしょうか。』
こういう説明の文章の方が、間違いなく精緻に状況を残せます。
また、そもそも俳句は【詩】なので理屈っぽさを嫌います。「一句で全て説明する」のはあまり向いていません。
ただ、俳句の形に残すと、あとで「あの時の感動はこうであった」という気持ちを呼び起こすことはあるようです。なので、俳句として残すのはアリだと思います。
日記・記録としての俳句を使う場合、あくまで一般論のアイデアで
◆一句だけで無理に説明しようとせずに、場合によっては複数の句に分ける
◆句の横に、補足や前書きとして説明を残しておく
などの方法があります
最後に私からの提案句を残します。
俳句としては「孫」という説明は入れたくなく、「少年」の映像は受け手に委ねればいいでしょう、というのが私の考えです。
・思春期の少年の黙風光る (黙:もだ)