「見返りて名残る札幌雪まつり」の批評
回答者 秋沙美 洋
添削した俳句: 見返りて名残る札幌雪まつり
イサクさん、こんにちは。
御句読ませて頂きました。
「名残る」は読み手の主観が強く出過ぎているように思います。
「札幌雪まつり」を「見返る」人、それだけで雪まつりへの名残惜しさは十分に読み手へ伝わるのではないでしょうか。
代わりにどんな雪まつりだったかを描写すると、名残惜しさがより伝わるかと思います。
「見返れば札幌雪まつり明かし」
としてみました。
点数: 3
回答者 秋沙美 洋
添削した俳句: 見返りて名残る札幌雪まつり
イサクさん、こんにちは。
御句読ませて頂きました。
「名残る」は読み手の主観が強く出過ぎているように思います。
「札幌雪まつり」を「見返る」人、それだけで雪まつりへの名残惜しさは十分に読み手へ伝わるのではないでしょうか。
代わりにどんな雪まつりだったかを描写すると、名残惜しさがより伝わるかと思います。
「見返れば札幌雪まつり明かし」
としてみました。
点数: 3
回答者 秋沙美 洋
添削した俳句: 春の雪溶けてなくなりまた積もる
村松平良さん、こんにちは。
あなたの俳句を読ませていただきました。
春の雪が溶けてなくなり、またふっては積もっていく…家の庭で見えた様子を、すなおな言葉で書けていると思います。
小学生三年生のあなたの俳句を読んで、三年生のころの僕はどんな子だったかなあ、と考えました。
友達とポケモンのゲームをしたり、コロコロコミックを読んだりと、遊んでばかりの子どもでした。自分で俳句を作ってみようなんて、考えた事もありません。
村松さんは自分で俳句を作るだけじゃなく、それに自分でコメントを書き、インターネットに公開している。これはとてもスゴい事だと思いますよ。
ですが、インターネットを使う時には、気をつけなければいけない事が色々とあります。
インターネットには色んな人がいます。中には村松さんのような子どもに、イジワルなコメントをする大人もいるかもしれません。
ですので、もしこれからもインターネットを使って俳句を作っていくのなら、かならずお家の人と相談して、いっしょにやって下さい。
これはとても大事な事です。なのでゼッタイゼッタイに守ってくださいね。
点数: 3
回答者 秋沙美 洋
添削した俳句: 荒れ畑を打ち続けたり東北忌
時期的にも意味的にも、御句における「東北忌」を3/11の震災とは無関係の言葉だとするのは無理があるでしょう。その上で、「東北忌」という語を用いた句を俳句添削道場のようなオフィシャルな場に出す事の是非、というのは一考の余地があると思います。
〜〜忌という季語は色々ありますが、そのいずれも故人の生き様を偲んだり(桜桃忌、子規忌)、過去の出来事に想いを馳せる(敗戦忌、原爆忌)といった意味合いをはらみます。
その点、東北大震災は現在進行形で向き合わなければならない問題が山ほど残っている出来事です。原発問題然り風評被害然り。行方不明の家族を今なお探し続ける人の存在もあります。
「東北忌」としてしまうと、震災を過去の出来事として客観的に見つめるような、そんな句になってしまわないか。そこは詠み手の責任として考えるべきだと思います。
イサクさんがこの句をどれほど真剣な想いで詠んだかは僕の知る所ではありませんが、生半可な気持ちで取り扱って良い言葉で無いのは確かかと。
念のため申しておくと、イサクさんの句にケチをつけよう等という意図はありません。句の出来は悪くないと思います。
震災を忘れないためにも、震災を詠む意義は大いにあると考えます。しかしながら、問題を抱える当事者がまだ沢山いる事を詠み手は強く強く意識すべきと思います。
点数: 3
回答者 秋沙美 洋
添削した俳句: 残月やラジオの中の死者のこゑ
こんにちは。
残月(または有明月)は夜明け頃の月を指すそうです。一方、玉音放送は1945年8月15日の正午に放送されました。ここは「昼の月」とした方が良いかと思います。
それは一旦置いとくとして、イサクさんが言うように、この句だけで「玉音放送を聞く場面」という句意を掬い取るのは不可能です。現代の我々から見たら昭和天皇は死んだ人ですが、この句は昭和天皇が生きている1945年8月15日の光景を詠んでいるんですよね?
それを抜きにしても天皇の声を「死者の声」とするセンスは如何かと。
点数: 3
回答者 秋沙美 洋
添削した俳句: やめようか春に始めた俳句かな
山崎さん、こんにちは。
俳句は素晴らしい趣味だと思います。僕も一俳人として、お仲間が増える事は大変嬉しく思います。
しかし同じ趣味を持つにしても、「もっと上手に俳句を詠めるようになりたい」と研鑽する人もいれば、「別に上達はしないでいいから、気の合う仲間と褒め合いながらゆるく詠んでいたい」という人もいるでしょう。
山崎さんがどのような思いで取り組むかは自由ですし、それを邪魔しようという思いは少しもありません。
中には「向上心のない奴はダメだ」という過激思想もいるかもしれませんが、僕個人としては、その人の俳句に取り組むスタンスは尊重されるべきと考えます。学が有るか無いかなんて、非常に些細な問題です。
とはいえ添削という性質上、上から目線に感じてしまうという気持ちも分からなくはありません。
一つ言える事は、今の添削道場に「上から目線の押さえつけようとする意見を書く人」は、僕が知る限りではいません。
いるとすれば「お褒め以外の意見を全て上から目線と受け取る人」ではないかなと。
俳句は素晴らしい趣味と思います。
山崎さんが楽しい俳句ライフを送れるよう、願っております。
点数: 3
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