俳句添削道場(投句と批評)

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「カタカナ語苦手な父や茄子の花」の批評

回答者 登盛満

添削した俳句: カタカナ語苦手な父や茄子の花

こんにちは。
四十雀の句への添削いただきありがとうございました。
種の殻割るは説明っぽいと感じておりました。何故か、殻を割ることから抜け出せないでいました。(木の下に殻がたくさんこぼれていて、掃除をしたりしたからでしょう)殻割りつづくと殻割る姿とか、、、声に出してみてもしっくりしなかったでうす。確かに!種だとしっくりしました。頭がギコギコと錆びています。泣

御句拝読させていただき、素敵な父の日の句だと感じました。
茄子の花の、地味で素朴だけれど必ず実になる無駄のないところと、カタカナ語苦手な父との響き合いに、詠み手の父への想いが感じられました。「カタカナ語苦手」は敢えての表現なのだと思いました。

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噴水の出る気配なし蝉時雨

回答者 なお

添削した俳句: 蝉時雨噴水の水干上がりぬ

こんにちは。卓鐘様、いつも勉強させていただいております。

御句、情景が目に浮かびます。もう少しするとセミがシャワシャワ鳴いて、涼を求めて行った公園ではなんと噴水が止まっている?見たらお水はカラカラ。うーん、これって、待ってても出ないのかなぁ…と考えているのが提案句です。
添削だとか手直しとかとんでもない。ただ噴水の「水」はなくてもいいと思いましたが、すでに干上がっていますよね(笑)。

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遠い街想いは止まず五月雨

回答者 なお

添削した俳句: 遠い街想い過ごす夜雨止まず

成川様、こんにちは。

御句拝読しました。季語についてはイサク様がおっしゃっている通りです。

私の提案句の季語は、五月雨と書いてさつきあめと読みます。でも6月の季語です。
季語を入れる分、どこかを詰めなくてはならないと思い、「過ごす」は削りましたが、降り続く雨と遠い街への尽きない想いはそのまま読み込みました。

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「泉枯る食卓にあるインディカ米」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 泉枯る食卓にあるインディカ米

一読、砂漠化が進む発展途上国を思いました。
「泉」という季語を枯らして逆に夏しかも日照りを連想させるという面白い使い方ですね。本来の季語と違うとか泉が枯れる日照りってどういうこと?などの議論は別れそうですが、僕はありだと思います。無季俳句、幻想俳句(本来日照りで枯れるはずのないはずの泉が枯れる)と主張しちゃえばいいので。
季感もあるし詩もある。この句は、好きです。

「食卓にある」この言い方だと、並んでいるというよりちょっと離れたところでポツンと大きな器に盛られているというニュアンスに聞こえるので、ニュアンスを変えたければ色々推敲はできると思います。ただ別にこれはこれで作品としてありと思います。

点数: 0

「夏至の日の湖に架けたる橋長し」の批評

回答者 なお

添削した俳句: 夏至の日の湖に架けたる橋長し

こんにちは。
負乗様、いつも勉強させていただいております。

御句、意味が掴めませんでした。「架けたる」といえば作者が架橋したみたいですが、もちろんそうでなく、元々からあるのでしょう。であれば「架かる」ですよね。

それはそれとして、負乗様のコメントは次のようです。「夏至の日は、いちばん日が長いので、早朝、橋を渡ると、とても長く感じた」と。
これを読んでも、御句の句意につき、未だかつて次の三つのどれなのだか決めかねています。

1. 最も日が長いので、橋を渡って行った先での一日がとても長く感じた。
2. 最も昼が長いので、従って気温も上がり、鉄製の橋は膨張して普段より長くなったように感じた。
3. 最も日が長く暑いのでクラクラして、いつもならすぐに渡り切るのにとても長く感じた。

どれも面白いので、それぞれのケースにつき提案句を作ろうと思ったのですが、そこまで辿り着けませんでした…。すみません。

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