俳句添削道場(投句と批評)

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夏祭りマイクテストにニャンと言う

回答者 秋沙美 洋

添削した俳句: マイクテストは猫の鳴きまね夏の朝

こんにちは。

夏の朝を取ってつけたような句で、夏の朝でなければならない理由が見当たりません。これでは季語が泣きます。秋では?冬では?春ではダメですか?
この句は「夏の朝」の句ではなく「マイクテストに猫の鳴き真似」を言いたいだけの句のように見えました。
字余りの効果も感じません。揚句の場合、「鳴き」を取れば簡単に575の形に直せてしまいます。これでは「取り敢えず俳句は思いついたけど推敲が面倒だったんだね」と思われても仕方ありません。

点数: 1

アベリアやナポリの虹に青多し

回答者 秋沙美 洋

添削した俳句: アベリアや異国のような虹である

こんにちは。

僕も「異国のような虹」には強く引っかかりました。自分でも何で引っかかったのか、ちょっとばかり考えてみました。

「寓話の月」は創作物の中にしか無く、現実の世界に存在しません。
一方で「異国の虹」は異国に行けば存在する。
この違いは大きいかなと思います。

「寓話のような月である」と言われた時、読者はこれまで読んだ創作物の月を思い思いに想像します。それこそ、読者の数だけ「寓話のような月」のレパートリーがあるでしょう。僕は日本昔ばなしのイメージのまん丸お月様を想像しました(大方はコレ?)。
しかし「異国のような虹」は、現実世界から想像を引っ張って来なければいけません。で、現実に存在している虹ですから「寓話の月」のようなイメージの膨らませ方は難しいと思うのです。
例えばタイの虹は情熱の国だからといって赤の占める割合が多いかというと、そんな事も無いでしょう。

という事で、僕が詠むとしたらと前置きして。
「異国のような虹」とふんわりした言葉で読者に想像を託すより、強引な力技でどんな虹かを言い切ってしまう方がこの句は良くなるかと思います。
アベリアはイタリア原産らしいので、この辺りを絡めて提案句としてみました。いかがでしょうか。

点数: 1

「アベリアや異国のような虹である」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: アベリアや異国のような虹である

こんばんは。長文コメントありがとうございます。

N先生の「寓話のような月」はあくまで「寓話のような月」であり、「寓話にありそうな月」「寓話の世界にありそうな月」ではない。それは意味がかなり違う。
「異国のような虹」とはやはり(前後の文脈によりますが)「異国にありそうな虹」ではない。
というのが僕の日本語の捉え方なのだと思います。
「正確に表せ」というのではなく、すでにN先生の句の捉え方が違いますね。

なので、【「XXにありそうなYY」がピンと来るかどうか】というのはすでに論点がずれています。私が見た句は、ふたつとも「XXのようなYYである」なので。
これは理解していただけると思いますけれども。

泉の件はおっしゃる通り、「泉」は水そのものを意味することもあるので「泉を舐める」はセーフなのは気付いていました。おそらくですが、自分でその後のコメントに書いた通り「狼がわざわざ泉にいるのだから飲む・舐めるは省略できるだろう」という思いが正しいのだと思います。うっかり変な理由を付けてしまったようです。

「すんなり入るだけしか認められない」・・・こういう決めつけた言い方を私がしたみたいに読めるので、できればやめてください。

点数: 0

なんとまあなんぢゃもんぢゃのなにはぢぬ

回答者 卓鐘

添削した俳句: なんとまあなんぢゃもんぢゃの名に恥ぢぬ

「異国のような虹」のコメントありがとうございます。僕は、「異国のような虹」は全く違和感を感じないので、なぜ違和感を感じるという指摘となるのだろうか考察してみました。

「寓話のような月」これはなぜすんなり入るのでしょう。寓話の世界にありそうな月。異国にありそうな虹。何が違うのでしょう?
「異国のような海」これはおそらく違和感感じないでしょう。
「異国のような月」これは人によってん?となるかもしれません。

結論、「XXにありそうなYY」がピンと来るかどうかと思いました。イサクさんは、「異国にありそうな虹」が普段僕らが見る虹と何が違うんだ?というところに違和感を感じたのかなと思いました。僕には、異国の虹と日本の虹では全くイメージが違うので違和感がなかった。「寓話のような月」のイメージはできても「異国のような月」は日本の月と何が違うんだって思う人が多そうなのは理解できる。
そういう意味で、すんなり入ることも大事という指摘は理解できました。(最初はなんですんなり入らないのか全く理解できなかったので)

ただ、すんなり入るだけしか認められないのだったら、詩というものは死んでしまうというのが、僕の考え方ではあります。その句にとって損か得かはケースバイケースでしょうけど。先の句の場合、そこに引っ掛かりを感じる人が一定いることは傷にはならないかなぁとは思ってます。

*余談。別の句で「泉舐める」がおかしいという指摘をされていたかといますが、これも結構考えさせられました。「泉汲む」「泉飲む」は普通に例句がたくさんありますがこれにも違和感感じますでしょうか?「川を汲む」「川を飲む」は流石に変ですが。泉というものを湧き出た水そのものという捉え方をするかどうかと思いました。
(ちなみに、詩的な表現として、川を汲む、飲む、舐めるもありと僕は思います。)

御句と関係ない話が長くてすみません。
御句は一点の淀みもなく、言いたいことがストレートに伝わりました。
全部ひらがなにしたらどうだろ・・・あんまぁ思ったより効果出ませんでした^^

点数: 0

「マイクテストは猫の鳴きまね夏の朝」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: マイクテストは猫の鳴きまね夏の朝

詠もうとした光景と俳句の作りは悪くないと思います。
ただ、マイクテストで猫の泣き真似するのは誰だろう?子供のいたづら?という違和感と夏の朝にマイクテスト?という二つがどうにもピントこなかったです。
おそらく実景なんだとおもいますが、俳句は短く説明できる余裕はないので、ある程度あり得そうと納得できないと難しいかなぁと。わかりすぎても常識的すぎてもつまらないと言われるんで難しいとこですが。

夏の朝の必要性がどこにあるかですね。夏の朝というと、夜明けの早い涼やかな朝という意味なのでそこと他の12音が釣り合わないですね。

学校の朝礼?とも思いましたがあまり外でやらないしそんなところで猫の真似されてもスベるだけだよなぁとか。

あとは、マイクテストは猫の真似といえばきっちり12音でいけるのでわざわざ字余りにしなくてもいいかなと思います。

しらけさせる方向なら、
炎天下マイクテストは猫の真似

場所を明確にするなら
夏祭りマイクテストは猫の真似

そんなところでしょうか。季語の選択次第でもう少し共感できるようにはなりそうです。

点数: 1

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