「異国のような虹」のコメントありがとうございます。僕は、「異国のような虹」は全く違和感を感じないので、なぜ違和感を感じるという指摘となるのだろうか考察してみました。
「寓話のような月」これはなぜすんなり入るのでしょう。寓話の世界にありそうな月。異国にありそうな虹。何が違うのでしょう?
「異国のような海」これはおそらく違和感感じないでしょう。
「異国のような月」これは人によってん?となるかもしれません。
結論、「XXにありそうなYY」がピンと来るかどうかと思いました。イサクさんは、「異国にありそうな虹」が普段僕らが見る虹と何が違うんだ?というところに違和感を感じたのかなと思いました。僕には、異国の虹と日本の虹では全くイメージが違うので違和感がなかった。「寓話のような月」のイメージはできても「異国のような月」は日本の月と何が違うんだって思う人が多そうなのは理解できる。
そういう意味で、すんなり入ることも大事という指摘は理解できました。(最初はなんですんなり入らないのか全く理解できなかったので)
ただ、すんなり入るだけしか認められないのだったら、詩というものは死んでしまうというのが、僕の考え方ではあります。その句にとって損か得かはケースバイケースでしょうけど。先の句の場合、そこに引っ掛かりを感じる人が一定いることは傷にはならないかなぁとは思ってます。
*余談。別の句で「泉舐める」がおかしいという指摘をされていたかといますが、これも結構考えさせられました。「泉汲む」「泉飲む」は普通に例句がたくさんありますがこれにも違和感感じますでしょうか?「川を汲む」「川を飲む」は流石に変ですが。泉というものを湧き出た水そのものという捉え方をするかどうかと思いました。
(ちなみに、詩的な表現として、川を汲む、飲む、舐めるもありと僕は思います。)
御句と関係ない話が長くてすみません。
御句は一点の淀みもなく、言いたいことがストレートに伝わりました。
全部ひらがなにしたらどうだろ・・・あんまぁ思ったより効果出ませんでした^^
添削のお礼として、卓鐘さんの俳句の感想を書いてください >>
予告してあった「なんじゃもんじゃ」の句です