「早春や花はまだまだ寒雀」の批評
夢野翡翠さん。初めまして。こんにちは。みつかづと申します。
貴句、拝読いたしました。
結論から申し上げます。
「初心者でも季重なり・季違いの句を詠んでも構わないが、
この貴句においては、具体的な景が全く想像できない。
季語
を複数使う場合、1つの具体景に束ねて句をまとめる事が肝要」
この句の本質的な問題点は、実は「季重なり・季違い」ではございません。
以下、理由でございます。
まず、季語から押さえて参ります。
早春(初春・時候)、花(晩春・植物)、寒雀(晩冬・動物)
早春は時候の季語ですので、映像、音声、味覚、嗅覚等の情報を持っておりません。
そして、まだ花(桜)は咲いておりませんので、映像、音声を持っているのは
寒雀だけでございます。
つまり、句中に具体的な景の核が1つしか存在しておりません。
そして核の寒雀。「何をしているのか」、「何処に居るのか」(動作、状態)、
「何故詠まれたのか」が読者には分からないという点でございます。
次に、句の構造の観点。
早春:時候(抽象・上位)、花:晩春(抽象・未発生)、寒雀:晩冬(具体・可視)
抽象(早春、花)が具体(寒雀)に収束しておりません。
つまり、「早春なのに、花は咲かず、寒雀がいる」という説明文の骨格は
見えますが、詩としての視点(作者の立ち位置)が欠落しており、
読者には因果も感情も運動も感じられない訳でございます。
寒雀が「どこで」、「何をしているか」→そこから早春を感じた理由を
句に落とし込むと良いと私めは考えます。
ご参考までに、私めが初心者の頃に詠みました季語3つの句をご紹介いたします。
ゆく夏や蜩交じる蝉時雨
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26700
季語はゆく夏(晩夏・時候)、蜩(初秋・動物)、蝉時雨(晩夏・動物)の3つ。
映像の景ではございませんが、「音」という具体景で統合しており季節感が明瞭。
季重なり・季違いが「1つの体験」に束ねられております。
私めの心情は主の季語「ゆく夏」に乗せられており、副季語の蜩、蝉時雨は
「具体的な音の情報(の変化)」としての描写になっております。
最後に、作者コメントについて。
特に初心者・初級者のうちは「何故この句を詠んだのか」、
「どの様な景だったのか」、「それを見聞きして何を思ったのか」、
「場所は何処なのか」、「句で読者に何を伝えたかったのか」を
詳しくお書きになり、句の核を明確になさると良いでしょう。
理由は、そうなさる方がコメント者から的確な助言を得られ易いからでございます。
ネギさんの作者コメントが詳細で良い例かと、私めは考えております。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
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ごめんなさい、初心者なのに、季語2つ。
恐れ多いのですが、ご指導頂きたく、投句致します。