「ゆく夏や蜩交じる蝉時雨」の批評
回答者 山口雀昭
みつかず様、度々申し訳ございません。
そうおっしゃっていただくと心の荷がおります。本当にありがとうございました。
HAIKU日本の写真俳句には時々出しておりますが、2019秋は「青空をわが物顔の花芒」で秀作を頂いております。2020年は「デデッポッポ夏の悲しき野鳩かな」
2022年には「秋まつり鬼灯ならして帰る道」2023年の秋には「青空を我が物顔の花芒」冬には「冬花火窓を開ければ西の天」にそれぞれ秀作を頂いております。
なお、余談ですが夏井いつき先生の写真で俳句の2021年8月10日トンボと青空と言うお題で私のトンボの写真が使われました。夏井いつきの「365日俳句で」特選も頂きました。 長々と失礼いたしました。 雀昭
点数: 1
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※ 推敲前の句 七月や蜩交じる蝉時雨
句意:(夕方家に帰宅してくると)あれ? 夏の蝉達の蝉時雨の声に(初秋の蝉でもある)蜩の鳴き声が交じっている(当時のカレンダーを見ると2022年7月26日)。
ああ、もう夏は終わってしまうのか…。
季語:ゆく夏(晩夏)、蜩(初秋)、蝉時雨(晩夏)
技法:季重なり(晩夏同士)、季違い(晩夏と初秋)
「実感を素直に詠むと季重なり・季違いは避けられない事もある」と学んだ1句。
まだ『プレバト!』観始じめて間も無い頃の作句。
それを2年越しに推敲し、頭の季語を変えてみました。
この句の「蜩」と「蝉時雨」はどちらも季語ですが、音の情報として使われているだけであり、「それが偶然季語だった」ので、このタイプの季重なり・季違いは問題無い(3つの季語のうち最重要なのは「ゆく夏」であり、「蜩」と「蝉時雨」は季節の移り変わりと心情が詠めるのであれば、別の語に動かせるので)という判断です。