「新年や貰った牛の旨いこと」の批評
回答者 ヨミビトシラズ
何か……下の方を見ると、「冗長的である」「散文的である」という意見が圧倒的多数である(しかも、私の名前まで出してコメントを書いている人までいる)ので、正直コメントしにくいんですが……
私は、この句はこのまま採りたいと思います。
本来、俳句は主観を極力除かなければならず、また「食べ物が出てきた時は基本的に美味しく書かなければならない」という暗黙の了解があるので、「牛が旨い」などという直接的な表現は避けるべきなんですが……
「新年+牛(牛肉)を貰った」で既におめでたい(有り難い)事である上に、その味を「旨いこと」とまで言われてド直球で投げ込まれてしまうと、「物を直接的に描くな」と無下に否定する事ができなくなる。事実……この句を見た時、私は思わず笑ってしまったし(^_^;)
さらに、読み終わった後でもう一回句を読むと、頭に「新年や」と詠嘆が来るもんだから……「この人、美味い牛肉を貰って食べて、どんだけめでたい正月だと感じていたのだろう」と思うと、さらに微笑ましく思えてくる。
本来、「正月でめでたい事」といったら「久しぶりに家族が集まる」とか「無事に正月を迎えられた」とかと言った事だが、このような素朴で俗っぽい事で感じるめでたさも、あって良いんじゃないかと私は思う。
逆に言うなら……季語が「新年」じゃなかったら、私はこの句を採っていない。「新年」が、牛肉を貰った事の有り難さと、牛肉の旨さを引き立てているのだ。
それに……本当に美味しい物を食べたとき、「旨い」以外の言葉が出てきますか?
強いて主観を除いて俳句っぽくするなら、
牛肉を貰い家路の初籤
新年や牛肉貰いすぐ帰宅
みたいな感じになるだろうけど……句の内容が「俗・素朴の極致」であるだけに、変に気取った書き方をしない方が(≒口語っぽい書き方でまとめた方が)良い場合だってあると思いますよ。
点数: 1
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年末年始と、百貨店の肉販売会のところでバイトであります。昨日は帰る時、お疲れさまと手渡された、肉だ、いいのですか?ありがとうございます。と言って貰ってきた。早速食べた、柔らかい、おいしい。今、実家に届ける為電車で移動中。兄さんや母も喜んでくれるだろう。