俳句添削道場(投句と批評)
ヨミビトシラズさんのランク: 免許皆伝2段 合計点: 95

ヨミビトシラズさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

商店の温き静謐日の始

回答数 : 14

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大晦日吐息の響く昼の空

回答数 : 7

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水鳥の皆飛び立ちてまた嚔

回答数 : 5

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水鳥の皆飛び立ちてまた砲弾

回答数 : 2

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今年また同じ感傷大晦日

回答数 : 2

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ヨミビトシラズさんの添削

「三日には慈姑の残る重箱か」の批評

添削した俳句: 三日には慈姑の残る重箱か

実際、おせちの慈姑が残るかどうかは家によって変わるだろうから、説得力は人それぞれかもしれませんが……少なくとも、慈姑をあまり食べない私にはよく分かります(^o^;)
逆に、私の母は白梅さんと同じで、今年頼んだおせちに慈姑が入っていないのを嘆いていました(^_^;)

この句はこのままでも致命的な問題はありませんが、「(おせちの)慈姑が残る」というのがこの句の急所なので、語順は

三日過ぎ取り残される慈姑かな
三日過ぎ御節に残る慈姑かな
三日過ぎ御節の隅の慈姑かな
三日過ぎお重の隅の慈姑かな

のように、「(残る)慈姑」を最後にした方が良いように思います。「残る」は「隅の」で置換可能かもしれませんが、どちらを採用するかは悩みどころ。句意伝達の確実性重視なら前者、客観性重視なら後者。
また、「御節」と「慈姑」は季重なりです。句景伝達の確実性を重視するためにこのような編成もありではないかと思って書きましたが……一重に私の心配性のせいです。「お重」で伝わりそう(&語に問題が無さそう)なら、こちらの方が良いかと思います。

失礼致しました。

【PS】
白梅さんからしたら迷惑かもしれませんが……この場をお借りして、一つ打ち明けておきたい事があります。

私のコメントを読む方も、心臓が痛いかもしれません。
でも、実のところ……書く方も、心臓が痛いんです。

そもそも、自分の理論がどれだけ正しいかも分からないし……仮に、どれだけ自分の理論が正しかったとしても、それを伝える事がいつも相手のためになるとは限らないからです。

俳句に対するモチベーションは、人それぞれ。
「もっともっと伸びたい」と思っている人もいれば、「のんびりゆったりと俳句を楽しみたい」と思っている人もいるでしょう。

ひょっとしたら、私の余計な一言で、これから伸びようとしている芽を摘み取ってしまったのではないか。
私なんか、何も言わずに黙っていた方が、みんな幸せでいられるんじゃないか。
……そう思った事は、一度や二度じゃありません。

精度の高い正論は、時に薬どころか、致死性の猛毒になり得ます。この事は自分でも分かっていたはずですが、しかし……私自身、私の発している言葉が正論かどうか、この期に及んでまだ自信が持てずにいるのです。

有り難い事に、こんな私に「あなたの言っている事は正論も多いが、コメントを書く際、前後の挨拶くらいはした方が良いのではないか」と仰って下さった方がおられます。

有り難い話です。
どこまで信じて良いか、分かりませんが……私なんかの話を、(全部が全部では無いかもしれないが)「正論」と言ってくれたのですから。

間もなく、仕事始めです。もう、年末年始みたいに時間は取れないと思います。
1つの句のコメントを作成するだけでも、短くても10分、長ければ30~60分以上は優に掛かっています。これ以上の投稿はできそうにありません。

他の人へのコメントに徹していたため、私の句にコメントしてくれた方へのお礼もできずじまいです。きっと、皆さんはがっかりしていると思います。私の句へのコメントは、全て目を通していますが……返事をしようと思ったら、またろくでもない事を書いてしまいそうで……皆さん、本当にごめんなさい。

それにしても……

≫ところで、ヨミビトシラズさんの句評は、確かにきびしいです。
≫何せ『俳句ポスト』佳作常連との事ですので。

どこでそんな情報を聞いたのか知りませんが、この方は私の事を買い被り過ぎてます。

https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/32954

≫俳句ポストじゃ相変わらずの並選ラッシュで、佳作など夢のまた夢。偉そうな事をあちこちで書いてしまったけど、きっとここにいる人の何人かは確実に私よりも上級者であろう。

どうか、嗤ってやって下さい。

今さらこんな事を言っても、誰も信じないかもしれませんが……私は、中級の佳作が喉から手が出るほど欲しい、うだつの上がらない俳句書きです。

私は、「原画」に基づいて「点と線を置く事」は、(多分)得意です。でも……肝心要の「原画」が、ある事情でどうしても描けないんです。
データの解析・暗号化・エラーチェックは得意ですが、価値のあるデータを自分で作る(拾ってくる)事ができないんです。

どうか、嗤ってやって下さい。

点数: 2

「初詣橿原神宮前を友」の批評

添削した俳句: 初詣橿原神宮前を友

はっきり言うと、悩む所そのものが致命的にズレてます。
が……その話は後程。今は、あなたの質問に答えましょう。

そもそも、「橿原神宮前を友」だけでどのくらいの情報が伝わるか(どんな景である可能性が考えられるか)と言うと、

A(という場所)に友がB(していた)
A→「橿原神宮前」という場所・駅・バス停etc
A→「橿原神宮」という場所・駅・バス停etcの前
B→いる・いた・歩き回っている・(歩行・自転車・車・バス・電車等で)通過した・移動しているetc(=「友」の直前の助詞が「を」なので、歩行・移動関連の動詞なら殆ど該当するであろう)

この辺りです。故に、

≫「友達は電車を乗り過ごして合流する駅を通り過ぎてしまった=必ずしも橿原神宮に参拝するとは限らない。橿原神宮前駅で電車を乗り換えて別の神社に行く可能性も在る」(※)

この読みは、「橿原神宮前を友」の守備範囲に入っています。故に、この読みで読まれる可能性は、ゼロとは言えません。

ただ……問題は、「橿原神宮前を友」の守備範囲そのものが、あまりに広すぎる事です。考えられる動詞だけでも、全部で何種類あるか分からないんですよ?
つまり……(※)が読み手に読まれる可能性はゼロではありませんが、単純な確率論的に考えたとしても、その確率は限りなく低いと言えます。

ここまで読みの種類が多いと、読み手としてはどれを読んで良いのか判断に迷います。必然的に読み手は句意に辿り着きにくくなるので、句意に応じてもう少し景を絞った方が良いかもしれません……が、そもそも「橿原神宮前(十音)」という固有名詞の音数が多いので、それも難しいかと。

また、「季語との距離感の変化」ですが……そもそも、この「初詣」の解釈も、「主観が初詣に行く」「主観が友と待ち合わせて初詣に行く」はもちろん、語の組み合わせによっては「自分は初詣とは関係ないけど、周囲は初詣の客でごった返している」等の読みも成立します。
故に、どんな読みで初詣を捉えるかによって、「橿原神宮前」との距離感も変化する物と思われます。

ただし、人間にはバイアス(先入観)という物があって……「初詣」と「橿原神宮前」という単語を並べられると、殆どの人はこの2単語を結び付けて考えてしまうと思います。ましてや、この句の中にある手掛かり(助詞以外の単語)は「初詣」「橿原神宮前(or橿原神宮+前)」「友」の3つだけなので、そうなる可能性は非常に高いと思います。

ところで、この実験句を踏まえてどのような句を作ろうとしているのかは分かりませんが……最後に、非常に重要な事を一言。

https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/32922

≫漠然とした表現では読み手に景が上手く伝わらないし、かと言って景を細かく書いてしまえばそれだけ句は説明っぽくなってしまい、俳句としての味は薄れる。

そもそもの景が十七音に収まりそうもない場合、即ち

景の説明に必要な固有名詞の音数が多い場合
状況が複雑で、説明に多くの単語を必要とする場合
大多数の読み手の想像しにくい方向(非現実的な方向や、読み手が読みたがらない方向)に景を持っていきたい場合

……は、このジレンマから逃れられなくなります。

俳句でやっていけない事はありませんが……高性能な俳句を作ろうとしたら、こういう景は初めから選ばない方が無難です。

私はこのジレンマで、死ぬ程苦しみました。俳句を辞めたくなるくらいに。
……同じ苦しみを味わいたいと言うのなら、私は止めませんが。

俳句は、十七音しかありません。
読み手はエスパーじゃないですし、「点と線」はそんなに便利で万能な物じゃないんです。

俳句は、書き手が読み手の思考回路を借りる事で完成します。
故に、「大多数の読み手の一般的な思考回路」を予測できない・理解できない人間は、俳句の世界に足を踏み入れるべきではありません。

もし踏み入れれば、

俳句そのものか、俳句に携わる人間か、それとも自分自身か

……このうちのどれかが、致命的レベルで嫌いになります。

点数: 1

「胸に抱く心ポカポカお年玉」の批評

添削した俳句: 胸に抱く心ポカポカお年玉

普通、お年玉は貰えば嬉しいし、心がポカポカもします。故に、この辺の事は書く必要がありません。
が、それ以上に問題なのが……通常、お年玉は年上から年下に渡す物なので、

≫あげるばかりだったお年玉
≫初めて子に貰った時の感動を詠んでみました

こういう事情(句意)がある場合は、ちゃんと書いておかないとまずいと思います。

年玉を子から初めて貰いたる
年玉を初めて子から貰いたる
我が子から初めて貰うお年玉

ベースはこの辺。ただし、このままではもちろん味がありません。
ここに「(一際)心が温まった」という要素を入れたいのですが……

日帰りの吾子から初のお年玉
おずおずと吾子から初のお年玉
○○○○○吾子から初のお年玉

ここでもやっぱり、「お年玉は貰えば嬉しい」のは当たり前なので、直接「嬉しい」とか「ポカポカ」とかは書けません。

さて……どんな状況で、あるいはどんな風に「お年玉」を貰ったら、より一層嬉しく感じますか?

点数: 1

「初凪や浜に一字の残りたる」の批評

添削した俳句: 初凪や浜に一字の残りたる

これは、どちらが良いとは簡単に断言できないのですが、

初凪や浜に「○○」の字残りたる
初凪や浜に「○○○」の字が残り
初凪や浜に「午」の字残りたる
初凪や浜に「賀正」の字が残り
(注:○の数は音数ベース)

などと比べると、少し悩みます。

具体的な一字を入れれば読み手が句景を描く(&句意を読む)助けになりますが、その分読みの自由度は狭まります。何か明確に伝えたい物があるのなら「」に入る漢字を考えてみても良いでしょうし、読みの自由度を確保するのなら原句のままでも良いと思います。
シンプルな景ですが、方向性はとても良い句だと思いますよ。

初凪や鋭き文字の残る浜

……あ……すいません、これは添削案ではありません。
ただ、ちょっと……思うところがあって(^_^;)

点数: 1

「名神はすいすい雪雲のクラック」の批評

添削した俳句: 名神はすいすい雪雲のクラック

九九編成の破調ですが、良い感じで2つの要素(「近景の動」と「遠景の静」)が並んでいます。特に、「クラック」が意外にも良い働きをしています。

普通、クラック(特にモルタルの類のそれ)は「細く直線的に走る物」なので、単に「雲のクラック」と言われると「雲にそんなに明確に亀裂(切れ目)が走ったりするのか?」という疑念は起きない訳ではありません。しかし、「雪雲のクラック」から「雪のクラック(少し太めに走る)」が想像できるので、「雪雲のクラック」には不思議と違和感がありません。
さらに、「雲のクラック→晴れ間がのぞく(雨上がり&明るくなる)→車の運行がスムースになる」という理論的な流れもちゃんとあります。

だからと言って、

雪雲のクラック名神はすいすい

だと、語順が「原因→結果」の順番になって味わいがありません。

強いて添削案を挙げるなら、

名神のすいすい雪雲のクラック

として「○○の○○」を2つ重ねる方法がありますが、やったとしても誤差程度の改造です。むしろ「名神はすいすい」の方が言葉としては自然で、句景伝達速度は早いかも。

とても初心者とは思えない句です。このまま頑張って下さいね(^_^)b

点数: 2

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