返信が大変遅れて申し訳ありません。
イサクさん……「訪ね来てチャイム鳴らさぬ雪だるま」へのコメント、大変ありがとうございます。
率直に申し上げますと……私は、あのコメントの冒頭の
≫初読では上五の切れ「訪ね来て/チャイム鳴らさぬ雪だるま」で解釈し、「自分が訪問したら、そこにはチャイムを鳴らさない雪だるまがあった」という句意と思い、「チャイムを鳴らさない雪だるまって何だ???」というところで解釈が止まりました。
この部分を見て、心臓と全身の血管が凍りつきました。
これは、完全な私の凡ミスです。
日頃、誤読の可能性やら何やらを散々他人に指摘してきている私としては、穴があったら埋まりたいレベルのミスです。
私の頭の中では、登場人物(景の中にいる人間)は「家の住民」ただ一人であったのです(当然、主観は家の住民)。
しかし、初っぱなに「(家などを)訪ね来て」と来れば、大抵の人は「その場を訪れた主観と家の住民」の2人の景を考えます。これは、至極自然な流れの発想だと思います。この思考の流れを、私は完全に見落としていました。
そもそも、説得力の低い(=現実の世界で起こる可能性の低い)イレギュラーな景を描いているので、この手の事が起きやすい事は承知していたはずですが……一重に私の注意力不足です。
実は、雪だるまに対して「訪ね来て」という擬人化を使ったのには理由があって……
比較句のように、何も使わずに
呼び鈴を鳴らさずに立つ雪だるま
などとした方が、事象を伝えるだけなら効果的です。しかし、私が本当に書きたかった事(想定していた究極の句意)は、
「今日も、知らない間に家の玄関先に大きな雪だるまが立っていた。
私は一人暮らしだ。我が家に雪だるまを作るような人間はいない。でも、時々、我が家に訪ねて来るかのように、雪だるまが玄関先にある。
我が家の近くには、小さい子供が何人か住んでいる。きっと、そのうちの何人かがイタズラでこっそり作っていったのであろう。
この雪だるまは、見るたびにちょっと驚くけど、これに悪意が無い事はもう分かっている。また、雪だるまが黙って我が家を訪ねて来た……そう、私は思う事にしている」
この時の……雪だるまを見る時の、住人の温かい目を描きたかったのです。
得体の知れない物、明らかに悪意のある存在、自らに害を及ぼす可能性が高い存在などに対して「訪ねて来る」という言葉を使う事はまずありません。
「訳が分からない物だけど、でも微笑ましい(=welcome)」という、この温かさを書いてみたかったのです。
ですが……ちょっと、欲張り過ぎていたみたいです。
確実性重視で諦めるか、それとも句意重視で何とかできるか……考えどころです。
訪ね来てチャイム鳴らさぬ雪だるま(原句)
やって来てチャイム鳴らさぬ雪だるま
私の日本語力に問題がある可能性もありますが……(何となくだけど)語の感じから「やって来て」の方が「主観=住民」と直感的に理解してもらえるような気が……しないでもない(^_^;)
意味としては「訪ね来て」と同じはずなんだけど……どうなんだろ(-_-;)
あと、「やって来て」の方がwelcome感は若干下がるような気も。
チャイム無く訪ね来たりし雪だるま
留守宅に訪ね来たりし雪だるま
裏口に訪ね来たりし雪だるま
軒先に訪ね来たりし雪だるま
正門に訪ね来たりし雪だるま
朝焼けを訪ね来たりし雪だるま
「訪ね来る」と「雪だるま」を直結させれば擬人化だとはっきり分かる。切れも無ければ全てが雪だるまに掛かると分かる。
ただ、「(玄関先に)訪ねる→呼び鈴を押す」という自然な時系列(動作の流れ)からは外れるので、この際「チャイム」の部分は別の語に変えても良いかも。
……若干説明っぽくなるのは、この際仕方がない。
雪だるま呼び鈴くらい鳴らせよな
逆転の発想で、口語でまとめるとこんな感じに。かえって分かりにくいか?(^_^;)
廃屋に訪ね来たりし雪だるま
本来の句意からは外れるが、こんなのもインパクトがあって面白いかも。
とにかく……非常に貴重なコメントを、本当にありがとうございます。
また、よろしくお願いします(^_^)
句意は適当に考えておいてください(おい)
2025年もお世話になりました。良いお年を。