「紫陽花のアパートに住む老婦人」の批評
るる様、こんにちは。
アパートに老婦人が住んでいる、というだけの映像を季語
によってしっかり詩にされていて、素敵だなぁと思いました。
きっと紫陽花の似合う素敵な女性なのでしょうね。
先の皆様のコメントにあるように、「や」で切るだけでも句意を変えずに韻文らしいリズムにできそう…というのはまず思いました。他は原句のままで、
・紫陽花やアパートに住む老婦人
でも何か印象が弱まってしまったような。
るる様ですので、何か「紫陽花や」にしなかった理由があるのだとも思い、しばらく考えてました。
原句の「紫陽花のアパート」は、単に紫陽花が咲いているというだけでなく、一面に紫陽花が咲き乱れているような映像が浮かびますね。そういうことを表現したかったのかな、と思いました。
だとすればこの措辞は効果が出ていると思うので、残したいですね。
・紫陽花のアパート老婦人ひとり
九・八の破調です。紫陽花に囲まれたアパートと、一人佇む老婦人の対比で…。
住んでいるかどうかは、私は読者の想像に託す形で良い気がします。
「住む」と言ってしまうと、そんなことまで知っている作者はこの老婦人と知り合いなのかなとか、余計なことに意識が行ってしまいそうで。
長々失礼しました。
またよろしくお願いいたします。
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いつもありがとうございます。
紫陽花の咲いているアパートを【紫陽花のアパート】として良いのでしょうか。
【住む】は余計?なんとなくずーっと居るみたいな雰囲気を出したくて【住む】を入れましたが。。
ご意見をよろしくお願い致します。