「やりましたって声が聞こえて風光る」の批評
拙句「炎天の渋滞死せる冷房よ」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/31210
お言葉を拝読し、私の句の構造意図との齟齬を感じましたので補足いたします。
長文お含みおきください。具体的に申し上げます。
①:今回の拙句の「説明し過ぎ」は表現の過剰ではなく、詠嘆の三段強調構造
炎天の(視覚/体感)、渋滞(動けない不条理)、死せる冷房(最も絶望的な破局)
という情況の三段重ねによる心理的クライマックス形成です。
これは単なる説明ではなく、「徐々に詰まっていく息苦しさ」を【動的構造】に
よって読者に体感させる為の戦略です。
つまり、情報が並列しているのではなく、因果・象徴・詠嘆が縦に
積み上がっている設計です。
この三段階による呼吸の詰まりこそが、本句の句意です。故に、それを"冗長"と
捉えるか"圧力の連鎖"と捉えるかで解釈が決定的に異なります。
②:「季重なり」は偶発ではなく、心象の二重強調による詠嘆の演出
季語
「炎天」と「冷房」は、単に「暑い→冷房が壊れた」ではなく、
「炎天」=逃げ場無き自然圧
「冷房」=本来助けてくれるべき人工的安堵が壊れる
この対比こそが「自然 × 人工 × 主観の三層構造の崩壊」を表しており、
「季語の重なり」というより意味作用の交差としての重奏になっています。
「冷房」が季語である事を承知の上で季語「炎天」を加えております。
これは「説明」の為ではなく、自然と人工の両方が機能しなくなる
極限状況を描写する為です。よって、構造的な二重象徴の強調です。
季語機能の「描写」と「象徴」を峻別して解釈すべき事案と私は考えております。
③:提案句の方向性が異なっており、「添削
」ではなく「改作」に近い
・車は進まず冷房は働かず
・冷房の効かぬや都心環状線
ご提案句はいずれも的確な観察句として機能しており、「状況を整理」するには
適していますが、私のこの句が目指している
「詠嘆による心理的息詰まりの共有、心理的喚起」という方向性とは
大きく異なります。
つまり、これは「句の味わいを変える案」であって、厳密な意味での「添削」では
ありません。文体的・感情的ベクトルが異なっているからです。
添削として受け取るには、主観の構造的演出という視点への言及を
いただきたかったところです。
まとめ
イサクさんのご提案句からは、「情景を整理する事で、句が読み易くなる」
方向性が明確で、鑑賞句としての完成度が高い事に敬意を表します。
ただ、本拙句については、「情景の過剰」ではなく「詠嘆の臨界点」を読者に
与え、追体験を提供する事が主眼である為、三要素の重ねが構造的に意図された
演出である事をご理解いただければ幸いです。
「読者が分かる様に書く」句の逆、「読者に詠嘆を浴びせる」句、
「読者に思考を促す構造」の句も又、俳句
の1つの道ではないかと、
俳句の新たなる道を切り拓くものではないかと私は考えております。
あの時、車内で『くたびれた…』と思った感覚、嘆き。
それが私にとっては〈詠嘆〉であり、〈五七五〉で凝縮する価値が
あると感じた体験でした。
以上です。
今後とも、ご指導の程よろしくお願いいたします。
添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>
先月に引き続きここの仲間からですねー
季節的に「風薫る」にしたかったんですが、季語の本意が合わず・・