「炎天の渋滞死せる冷房よ」の批評
みつかづ様
とても丁寧で、具体的に詳しく説明頂き誠にありがとうございます。
・結論:これでは誰も句意に辿り着けない。
・観念、感情ですから、場所が季語
である必要は全くない。
人々が集まる場所ならどこでも在り得る訳。
・客観写生、初めて聞くと言葉です。
独楽さんが常々仰る「客観写生」。俳句
の本質的な教え。
・絶対視する訳ではなく、基本としてこれを土台にした上で、唯物弁証法によって
感情そのものを唯物視して客観写生を乗り越えていく形で観念句の作句に
挑んでいくと上手くいき易いのではないか、
・そこを経ずしていきなり観念句の作句に挑んでしまうと感情そのものを唯物視、客観視、弁証法的に捉える事が
できず、句が破綻し易くなったり、他者に誤読される危険性が高くなるのではないか、と私は考えております。
・そして、以下の作者コメント。
「人の集まるところ、どこでも人間関係の荒波が起こります」。
ここに、「何故?(Why?) 何時?(When?)、どの様に?(How?)、
何として(What?)」の深堀が全く書かれていません。
・句の字面と作者コメントとの乖離の幅が広過ぎて、添削
も困難を極めます。
「起こった人間関係の荒波にどうなってほしいのか?」も書かれていませんし。
・作者が最も表現したいのはプールではなく、「人の集まるところ、
どこでも人間関係の荒波が起こる」事でしょうから、そちらに軸足を乗せて、
合う夏の季語を取り合わせるしかないでしょう。
・添削案も、具体的な説明をされて、とても参考になります。
A:賞与手に行く先々も荒れる夏
賞与は会社から貰いますので、「会社は人間関係の荒波の最たるもの
B:人心は荒れ増さる世か雷響ぞ(雷響が三夏の季語)
・繰り返します。
観念句を詠む場合、ご自身の観念や感情そのものを論理的に深堀りしていかないと
句の字面と作者コメント、つまり句で表現したい事に乖離が必ず出てしまい、読者は
作者に寄り添いたくても読み解けないので、句の意味が読解不可能になります。
・観念そのもの、感情そのものをを詠む句は非常に難しく、読者を迷わせがちですが、
「何故そう感じたか?」を段階的に理論的に辿る練習なされば、表現は磨かれていくものと私は考えております。
客観写生」、「観念句」と初めて聞く言葉ですが、「観念そのもの、感情そのものをを詠む句は非常に難しく、読者を迷わせがち」と、とても難しい内容を詠もうとしていたと、ご指摘頂きありがとうございます。
初心者として、余りにも高き山を目指そうとしていたと、知ることができました。
ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。
添削のお礼として、東野 宗孝さんの俳句の感想を書いてください >>
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/31207
上記の「冷房よ炎天の渋滞に死す」の訂正です。致命的なミスが見付かりました。
車内で私が熱中症で死んでる様にも読み解けてしまう。
「死んだ(=壊れた)のは冷房の方だ」と確定させないとマズい。マズ過ぎます。
作意はリンク先と同じです。
再掲すると以下。
20年近く前の仕事で、車で真夏の家々や企業を次々に訪問している道中で
交通渋滞に巻き込まれてノロノロ運転の最中に冷房が故障(=死す)し、
「ウソでしょ…。最悪だ。最悪と言ってよい」との嘆きの実体験を詠んでみました。
嘆きを詠むと書いて「詠嘆」。また、動詞「毀る」(こほる)だと弱いかな?と。
今回の句は詠嘆+季重なりの季語の相乗効果+擬人化の効果を狙った推敲にし、
これなら俳諧味あるのではないかと私は考えましたが、如何でしょうか?