「梅に雉菫に蝶の春着かな」の批評
回答者 慈雨
いるか様、再訪です。
先日のコメント、作句法について、興味深いです!教えていただいてありがとうございました。そういう議論いいですね。
以下、長い雑談です…m(_ _)m
私も題詠のときはオーソドックスな連想法と、夏井先生の六角成分図を使うことが多いかなぁ。あとはネットでその季語
について色々調べて、なるべく本意を掴めるように…。
多作多捨は苦手なんですが、一句を作るのに色々バージョン違いは考えます。助詞を変える、語順を変える、漢字か平仮名か、文語か口語か、似た意味の季語に変えたらどうなるか、など。
日常的には、印象的なワードは思いついたときにスマホにメモしてます。「クロスワードの空いたマス」も数カ月前にメモしていたやつで、しっくりする季語が見つかった時に句にしてます。
まあ普通ですし、私の作句法を参考にしても仕方ないと思いますが(;´∀`)
あと、イサクさんやげばげばさんの句を勝手に分析して、どういう思考過程でその句にたどり着いたのか想像してます(笑)。
多分ですが、お二人とも神がかった発想力というよりは、多くの人と同じ類想からスタートし、そこからもう一歩思考を進める姿勢があるんだろうと思っています。
わかりやすいところでは、一見ぶっ飛んだ発想に見える、げばげばさんの蓑虫の句(21年・俳ポ木曜)とか。(げばげばさん、道場外の句を勝手にごめんなさい!)
●蓑虫→殻の中→引きこもり・不登校。
ここで終わると類想。げばさんはそこからもう少し矢印を伸ばして、
●引きこもり・不登校→学校を休む→部活を休む→先生に言い訳。
さらにもう一本、別の矢印を。
●蓑虫→かわいい。
これも類想だけど、そこからもう少し矢印を伸ばせば、
●かわいい→好き→(主語を逆転させて)蓑虫に好かれる。
これで完成。多分、当たらずとも遠からずなはず!(全然違ってたらホントごめんなさい(泣))。
そう考えると、決して手の届かない領域ではないように思うのです。言うは易し、ですが。。。
イサクさんはまたちょっと句風が違いますが…長くなったのでこの辺で。
勝手にいろいろ失礼しました。げばげばさんもゴメンナサイm(__)m
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添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
咲き乱れる梅に雉が舞い、可憐に花開く菫に蝶が踊っている
そのような春を祝う柄の晴れ着であるよ
以前絵襖でやった大胆な季重なり的手法
所詮はびっくりどっきり一発芸的な俳句に陥ってしまったか、、
某所水曜日 当選句
やはり木金の句と比べると句が浅く薄っぺらいでしょうか
季語の本意の目出度さを確保しつつ一つのシーンとしての広がりが圧倒的に足りないのかな、と
皆様も本句自体の鑑賞の他に他の木金句と比べてどこが違うなどがあれば是非コメントください
同時投句
電車より華の零れる春着かな
春着きてちょっとそこまでパン買いに