「ロキソニン噛み砕いてる今朝の秋」の批評
おはようございます。
他の方のコメントへのコメント的な内容になりますので、配慮して言葉を置きますが、
もし気分を害される方がおりましたら申し訳ございません。誰かの意見やコメントを否定するものではありません。(みなさん、添削希望は「俳句」のみだと認識しています)
さて、「ロキソニン」について、3つの話題が発生していると認識しました。
1.商品名の是非
2.俳句が俗っぽいことの是非
3.商品名=俗っぽくなるということか?
1を飛ばして、
2は、他の文学や芸術と同じで「どんな俳句を目指しているか」「先生からどんな教えを受けたか」であると思います。他の文学に例えれば、純文学のような俳句を目指す方は「俳句は格調高く」と学んでいるでしょうし、ラノベのような敷居の低い俳句で詩を出そうと目指す方もいると思います。
どちらが正しい、という話ではないですね。格調も俗も両方取り入れたいと思っている方もいるでしょうし、各自の作句へのスタンス・鑑賞・意見だと思います。それによって他人の句への意見も変わると思います。
という前提では3を考えるのはあまり意味がないのですが、ぶっちゃけ商品・商品名・商品のイメージと、句での扱い方次第かと思います。この句では「ロキソニン」「カロナール」「バファリン」「痛み止め」「頭痛薬」「鎮痛剤」それぞれ句の風景が変わると思いますし、鑑賞・意見はそれぞれだと思います。
戻って1。
商品名を出した俳句はダメか?というと、最近では「ダメな理由はない」とおっしゃる方が多いと思います。過去句にも大量にありますし。
(ただし投句先は多少意識すべきかと思います。たとえばNHKでは商品名を出すことに条件がありますし、伊藤園の俳句に他社の飲み物の名称は選されないでしょうし・・)
個人的には、俗っぽくなるかどうかは商品名よりも、使われ方によるところが大きいと思います。その上で「俗っぽく見える」という意見があるのであれば、それは鑑賞による一意見ですので、受け入れる寛容さは必要であるように思います。
全員に肯定される俳句であればこちら「添削道場」に出す必要はないでしょうし、いろいろな意見があってよいのではないかと思いました。勉強させていただいております。
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音数間違えました、