「この道がふたつに分かつ花野かな」の批評
こんにちは、花野つながりでこちらに失礼します。詳しく興味を持っていただき恐縮です。本来は読み手に預けるところではありますが(どんな読まれ方をしてもそれが作者の技量という意味で)、道場ですので自解にてお目汚しします。
白状すると、「静寂(しじま)」とやろうとしました。しかし、以前カッコ付きだと投句できなかったので、今回もだめだろうと思って平仮名にし、コメント欄に記載することも横着して省いてしまいました。表記が影響するのは印象だけで、句意はほぼ同じだと思っていたので。今思えば、印象込みで鑑賞されるんですから脇が甘かったかもしれないです。猛省。
「黙すかな」も候補でした。何も語らない骨というイメージも多大にあったので。ただ、「黙す」だと骨そのものに限定されるのが少し物足りなく思いました。骨の沈黙はもちろん、その周りにまで漂っているまったき沈黙、少し広い意味での静けさを表そうとして採用した「静寂」でした。しかしだからこそ、ぼやっと広がって見えた方もいたんだろうと思います。
あとはまあ、静けさと沈黙は底で通じ合う概念なので、どちらをどうという意図まではなかったですね。黙りこくっている骨は、すなわち静かなものですし。
そんなところでした、ご参考になれば幸いです。記号を入れた句って投稿はできるのでしょうか…?
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花野の中に延びる
真っ直ぐな一本の道
この道「の」か迷いましたが、
道が二手に分かれるとも読まれるかなと思い、この道「が」としてみました。
よろしくお願いいたします。