「吾子寝たり窓の外から桜散る」の批評
回答者 みつかづ
再訪失礼致します。コメントありがとうございます。
文語体でも「ガラス窓」との解釈が、今の時代ならば普通かとは思います。
と申しますのは、戦前はまだ現在の様な完全な口語体ではなく、文語体と口語体が混じってる様な日本語の歴史があり、「窓」につきましては関東大震災の後は「ガラス窓が一般的になった」という歴史があります。
ただ文語体ですと「障子窓である(可能性もある)」という含みがありますので、例えば「私は窓の近くに居たけれども、(窓の外の遠くでの)火災に気付かなかった」という句を詠んだ際に、「窓の近くに居るのに見えている火災に気付かないのはおかしいでしょ?」と言われた時に、「この窓は障子窓であり開けておらず、外は見えないですし消防隊の音も聞こえなかったので分かりませんでした」と反論できる訳です。「窓を逆手に取る」という方法です。
これが口語体で「窓」でしたら、「窓の障子」と書かない限り反論できない訳です。
文語体と口語体では含みが変わってくる単語は、他にも幾つか存在する様です。
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孫がやっと寝て、ふと部屋の窓から外を見るともう桜が散っていることに気づきました。孫の成長とあっという間に咲いて散る桜を重ね合わせました。よろしくお願いいたします。