「着膨れて見えるもの見えなくなりし」の批評
回答者 慈雨
ケント様、おはようございます。
拙句「震災の…」へ大事なコメントを頂き、ありがとうございました。また、季語の解釈についてのご意見をめぐってご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。
非常にセンシティブな内容だけに、私自身が自分の意見を吟味し、その上で句やコメントに丁寧に記載すべきだったと反省しております。
現時点での私の考えは、概ねケント様に近いものと思っております。
一年中存在する「月」が秋の季語なのは、多くの人が「月と言えば秋」と連想するからだと思いますし、だからと言って「春や夏の月は秋より劣る」という意味ではないと思います。
「震災」という言葉で多くの人は3・11を想像すると思いますし、これだけの大きな出来事ですので、季語にもなり得るのではないかと。それは決して関東大震災や阪神・淡路大震災を軽視する意味にはならないと思います。
同時に、事柄の性格上、誤解を招かぬよう十分な注意は必要だし、震災で句を作るなら可能な限り「いつのことを指しているのか」がわかる内容にした方が良いとも感じました。
私はまだ俳句を学び始めて4ヶ月ほどですが、俳句は喜怒哀楽あらゆる感情を景色と重ね言葉にする、人間賛歌であると感じています。その俳句が人を傷つけるようなものになってしまったら悲しいことですし、人を笑わせたり感動させたりできるような句を詠めるよう、十分に注意して頑張りたいと思います。
自分の話ばかり、長々と申し訳ありませんでした。
今回は私が軽率な形で投句してしまったこと、そのせいで私が考えるべき問題をケント様に負わせてしまったこと、あらためてお詫び申し上げます。ごめんなさい。
さて御句、初見で「見えるもの=太り気味の体型」を想像したのですが、ほかの皆様はもっとポジティブなものを読み取っていらっしゃって恥ずかしかったです(笑)。
人によって想像する内容が微妙に違うのも俳句の面白さですね。
点数: 2
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
急に寒くなりました。
見えているようで見えてないことありますね。