「深き夜のエントランスの茸かな」の批評
こんにちは。
ご注意はご注意として承りました。
貴殿が一番ご存じだと思いますが、俳句
における季語
は年々、使われなくなり消えていくものもあり、またどんどん新しい言葉が季語として世に認められております。
私はまだまだ俳句は素人ゆえ季語と言うものがどのようにして認定されていくものなのか解りかねますが、私のひとつの希望的意見としてあのように申し上げただけであり、私のコメントのどこにも関東大震災や淡路大震災をないがしろにして軽んじているとは言っておりません。
また敢えて申し上げるならば私は関西生まれであり、淡路大震災の折りには兵庫の私の兄弟及び親戚が被災しております。いつの震災もその悲惨さに変わりはありません。
その悲惨さを知る者として私は発言しております。震災を差別化するなどもっての他です。
話が季語のことに戻りますが
仮にですが「震災」と言う言葉が季語になった時、どのような本意の季語となっているかは今の貴殿にも分からないはずです。
貴殿より「初めて」コメントを頂くのが、このようなコメントとは思ってもみませんでしたが、せっかくコメントを頂きましたので私も日頃感じておりましたことをコメントさせて頂きます。
実力者の貴殿であれここに投句されると言うことは、広く多くの人から感想や指摘を頂きたくてのことと思いますが
その寄せられたコメントに対して、貴殿は返信をされませんね。少なくとも私は頂いた記憶がありません。
私のコメントは「返信するに値しない」コメントであったと理解しておきます。
添削のお礼として、ケントさんの俳句の感想を書いてください >>
兼題「茸」のボツ句なのですが、いろいろ考えすぎている句です。
「これではちょっと・・」と思えると思うのですが、
どこが「これではちょっと」なのか、教えてください。