「玻璃戸あけ首を伸ばして夕焼けかな」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
俳ポの句コメントありがとうございました。
実景というか映像句でした。
かつて貨車が小麦を運び麦畑を走った鉄道橋が、今は戦禍となっているあの国の映像を見て、最初は貨車を詠みこんでいたのですが、貨車のない今の廃橋を詠もうと思いました。貨車だったら類想っぽかったので貨車が無いことを詠んでセーフだったかも。
Twitterの方でも廃橋の向こうには麦畑が広がっているだろうと希望的に読まれたコメントもいただきましたし、これは風の入りぐちの向こうには麦畑はもうないのだろうかと読まれた方もいましたし。
組長の、これは麦を運んでいた機関車が今はないという読みにもやはり感動しましたし。廃橋というものと風の動きを書いただけでこれだけいろんな方からさまざまな鑑賞をいただくと、ほんと季語の連想力ってすごいなと改めて感動しています。
私の手から離れた句なので、哀愁と詠んでも希望と詠んでもどのようにも!です。そこも俳句の好きな所です。読み手の受け取りは自由なところ。
頭の構造がちがうとかまったくないと思います。
今回も平明な言葉しか使っていません。
廃橋・風・入りぐち・季語 だけです。
でもこれを掛け合わせると、入りぐちなんだから、その奥行に何があるのだろうか。そんなことを季語と廃橋で想像してくれるはずだと思ったという句でした。
最近自分が意識してることは、全部を言わない、ではどこまで言う?の匙加減です。これはいつまでたってもムズイなあと感じてます。
いろいろ書きましたが、自解はこのサイトだけにて!おかえさきさんも体調心配ですが、下半期もたのしんでいきましょ!
点数: 2
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ちょうど夕焼けの句を考えていたらお題が夕焼けになっていました!
少し前に洗面所にいたら、二重窓の内側がすりガラスで…そこに夕焼けが映っていたので、2枚窓を開けて覗きこんだ時の様子です。
最初は、「玻璃戸あけ夕焼けの色を確かむる」とか下五を色々変えてみました、夕焼けの色に息ひとつとか…説明的かと…
結局これも説明ですね~😓(動詞二つですし)
よろしくお願いします。