考を待ち春を迎えし耕運機
作者 もんこ 投稿日
コメント(俳句の意味。悩みどころ)
最新の添削
添削一覧 点数の高い順に並んでいます。
「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句。「考」を使う必然性がある句って意外と少ないような気がします。「父」と詠んだうえで、読み手が「もしかしたら、ご病気なのかな?赴任されていないのかな?あるいはなくなっているのかもしれない」と想像したいのだと思います。
俳句ポストの特選の句、中山月波さんの
「澄みわたる花野へこぼす考の種」これが、「考」を使った私のなかでの大成功例でした。「花野」と「考」を生かしきった印象でした。
掲句。
行く春や父を待ちゐる耕運機
こういう感じになりました。耕す時期の春がすぎても耕運機がほこりをかぶっている印象です。時期がかわりましたがいかがでしょうか。提案には耕運機を思いっきり擬人化している是非があると思います(^▽^)/
これは私の一意見で、使っていけない言葉、やってはいけないことなど俳句にはないのだと思うので、みなさんの意見も参考にしてくださいね!
点数: 2
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「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 コウ
もんな様
初めまして、コウといいます。
宜しくお願い致します。
添削ではないのですが
御句に情景がありありと浮かびました。
「考」も初めて知りました。
・春光や考まつ納屋の耕運機
初心者で違っているのかもしれないのですが
納屋に置かれた耕運機が春の光を受け
出番はまだか?まだかんとお父様を待っている景が浮かびました。
よろしくお願い致します。
点数: 2
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「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 めでかや
もんなさん、こんにちは。いつもお世話になっております。
私も「考」初めて知りました。勉強になります。
少々調べてみたら、下記の様な意見もありました。
「考」の一字でよいのですが、今の人には伝わりにくいので「先考」として「亡き父」の意味を表します。(同様に、「先妣」で「亡き母」を表した方が伝わりやすい)
さて御句ですが、主役は耕運機になりますかね?。春を待つが季語になるかと思いますが、主は来ない=耕運機の春は来ないように感じて、季語の力も減衰しているように感じました。
しかし、情景はよく分かりますし言いたいことも十分に伝わっております。
今後ともよろしくお願い致します。
点数: 1
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「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 かこ
こんにちは😃
耕運機は”今も”待っているという事で待つにしました。御句だと耕運機が主役になってしまうので、季語を立てる為にラストにもってきました。
考を待つ耕運機かな春の朝
点数: 1
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「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 負乗
もんな様、初めまして。
「孝」〜「耕運機」…一読、駄洒落の句かと思いました。真面目な素材だけに、どうですかね…?
"父"では、ダメですか…?
「待ち」で、父の不在は暗示されていると思うのですが…
「父を待ち春を迎へし耕運機」
…
点数: 1
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春寒し考の畑に耕運機
回答者 伊勢史朗
どうもおはようございます。いつも拙句へコメントありがとうございます。今まで自分が知らなかった言葉を俳句に使ってみると言うのは大変アグレッシブで素晴らしい事だと思います。私も広辞苑をパラパラ開いて俳句に使えそうな言葉を探したり人様の作品から語彙が増やしていくほうです。それでは御句について。一読して「どうして亡くなった方を待って正月が来て耕運機?」というのが感想です。「迎春」は年賀状にも書かれていますが新年の季語です。また、最近では「耕す(春)」の派生型として「耕運機」も春の季語とする句が増えてきたようです。ところで「春寒し」を「春だってぇーのにまだ寒いのか、コンチクショーめ」と言ったネガティブな季語と勘違いされている方もいらっしゃいますが逆です。「立春を過ぎてまだ寒いけどこれから少しづつ温かくなるんだなぁ」と言う前向きな季語です。ですから亡くなったお父さんの跡を継ぐ人がいるという前提の添削となりました。また、耕運機を春の季語として「耕運機のチェーンに油考の畑」も一案です。
それでは今日も一日御健吟に。
点数: 1
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「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 伊勢史朗
それと私が管理人をしているネット句会があります。句会名は「とりあえず句会」です。https://haiku.upat.jp/catalog.cgi
誰でも参加できて「真剣に遊べる場」として立ち上げました。おかげ様で始めた約二〜三年前に比べて全体のレベルアップに著しい物があります。興味があればhttps://haiku.upat.jp/mail.cgi?toriaezu
までお問い合わせ下さい。入室用のパスワードを発行します。強制するつもりは毛頭ありませんがもんなさんのように積極的な方は大歓迎です。
点数: 1
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「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
私も「亡き」を言わずに表したい方なので「考」「妣」は使わない方です。
「亡くなっている」とわざわざ句で説明することに意味があるか?ということを考えてしまいます。「命」「死」に関わる単語は、どうしても自己満足的な作為がついてまわるので・・
「説明せずに受け手に察してもらう」ことがやはり醍醐味ではないかと思っています。
げば様のコメントにもありましたが、この句は「耕運機」に視点が行くことで、そこは上手くできるのではないかなあ、と思います。
・耕運機父を待ち続けたる春
でも父はもう来ない、と言う風に感じられれば成功です。
とはいえ作者がそういう単語を使いたいなら、反対するというものでもありません。
点数: 1
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「考を待ち春を迎えし耕運機」の批評
回答者 負乗
もんな様、こんばんは🙂
私は、やはり"孝"は、"父"のことだと誰にも分かりませんし、奇を衒った表現と感じました。(あくまでも、私の感覚です…)
"孝(こう)"にこだわる意図が分かりません…うーん、やはり、駄洒落としか受け取れません、かね… すいません、えらそうに😓
点数: 0
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その他の添削依頼
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亡父のことを『考』と表すことを知ったので、さっそく使いました。
物置でひっそりと亡父を待っている耕運機、雪が溶けたら出番が来ると待っている。
もうすぐそこに春が来ている。
『春』は季語でよろしいでしょうか?