「叩かずに追ひ出せばよしただの蜂」の批評
回答者 鳥越暁
こんばんは
拙句「燕の巣」へのコメント及び解釈、ありがとうございます。ふたつのご解釈、ほぼほぼ当たっております。視線的には上(燕の巣)から下(翅の落ちた地面またはそれに近い所)への移動。燕の巣(雛)と翅の欠片(昆虫の死骸の欠片)という生と死、動と静の対比を考えたものです。汲み取っていただけたようで嬉しく思います。
御句について
私が一番気になったのは「ただの」という表現でした。先程の拙句でいうと「なにかの」ということになるのかもしれませんが、私的には意図したものでした。御句の場合は、なるほどと思うのですが、詩情をあまり感じられなくなっているようです。蜂への感覚が、それほど恐れることもないし殺す程でもないし、という少し句材に対して突き放したとみえて、「なるほど」と思えてしまうのかと。
「迷い蜂」などとするのはどうでしょうか。
長々と生意気申し上げました。
点数: 1
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こんにちは。前句「在宅勤務」にはたくさんのコメント有難うございました。ちょっと思いが入り過ぎたかもです。
本句は、蜂はあまりに「刺す」イメージが強くて、働き者なのに可哀想で…。
「ただの」はネガティブな意味はなく、凶暴ではないよという意味ですが、季語を活かしていないように読めてしまいますか?