「桜見て入る蕎麦屋の枯葉かな」の批評
回答者 たーとるQ
なおじいさん、参考になる俳句をいつもありがとうございます。良い刺激を受けております。
御句は枯葉問題が確かにありますが、シャンソンへの強い意志が感じ取れるのでここを変えるのは違いますかね。枯葉を実際に私も聞いてみましたが、ゆっくりめのテンポで春の物憂げな感じにも合っていると感じました。
長谷川さんの「桜見て」が強引というのに賛成です。これだけで花見やその後を表現するは向かないですね。
私は、花見に出かけた後の疲れをあらわす「花疲れ」という季語を合わせてみました。これなら〆に蕎麦屋行ったのかな?とそこはかとなく思わせることもできるんじゃないかなと。
→花疲れ蕎麦屋にシャンソンの枯葉
→花疲れ蕎麦屋は短調の枯葉
(前者は枯葉が流れていることの傍観的な表現、後者は「枯葉」の持つ寂しさが花疲れした自分や蕎麦屋にもかかっている、といった具合でしょうか。)
点数: 1
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こんにちは。前句「桜って」は、「そう言う君の頬、それが桜色だよ」とかいう甘酸っぱい?ものでした。沢山のコメント有難うございました。
本句は実景で、花見の後で入った蕎麦屋で、BGMにシャンソンの「枯葉」が流れていたというものです。
枯葉を「 」で括らないと訳わからないかも…。
ご意見よろしくお願いします。