「成人の日やそれらしき姿なく」の批評
こんにちは。
再訪です。
冬苺の句コメントありがとうございます。
そうですよねー、取り合わせってどういう仕組みなのっていうことに対しては疑問がついてまわりますね。私の妻にも、これってなんでここでこれが出てくるの?って言われます。あながち全く無関係のものってわけではないのですが、、実際ヨーカドーで母は苺を手にしてますし。
たとえば、どんな季語なら腑に落ちますか?そこから考えるのも一つかもです。
・青く透く母の血管冬の風
ならどうですか?冬の風のわびしい感じと母の老いていく血管とがぴたっとくるように思いますよね。
・青く透く母の血管冬の雷
ならどうですか?わびしいに加えてちょっと険しい感じや衝撃のようなものも感じますよね。
「冬の星」とか「冬ざれ」とか「雪催」とか「冬の海」とかは。
この辺りは、私が母の血管を見た場所として納得する、時候や天文や地理の季語なので、そういう場所に母がいたのだなあと、なおじいさんも納得いきやすいのかなと思います。意味としてつながりがるように思えるからだと思います。
では、モノの季語ならどうでしょう。植物や動物の季語って。
これは母の血管とどう結びつくの?となりますよね、そのときに納得いきにくいのかと思います。でも、私の中では「冬の風」と同じです。母の血管と冬の風が並んだら、あーわびしいなあと思うように、植物や動物にも季語の本意とか共通の感覚みたいなのがあるということで。
「苺」なら初夏なんですよ、なおじいさんの大好きな夏に入っていく感じのときに赤赤と。でも、冬苺は、この寒い中実をつけていくのです、それでも赤赤と。そして、夏の苺と違って、少し衰微を感じるような。(今はハウス栽培が多くて赤赤と立派ですけど、、、)
なんか、老いたる母の血管、流れる血にぴたっと合うと思いませんか?これは、冬の風と合うという感覚と同じ感慨なんです。スーパーで小さくなった母が苺を持った時に、ぴたっと合うなあと感じて句になっていきました。
こうなると、なおじいさんは、実際に、母が苺を持ったから、腑に落ちたとおっしゃるかもしれませんが、もし持った姿がなくても、
「母の浮き出た血管」と「わびしく赤い苺」というモノと季語自体が、うまく響き合ってるなあと思ったりもするわけです。何でもいいわけではなくて、蜜柑じゃだめだろうし、セロリでもダメだろうし、やはり冬苺でしょと。
そこで、一生懸命歳時記を読んだり例句を読んだり、実際に体験してみて、季語を知っていきたい!季語ってめちゃくちゃ奥深いと思ったりするわけです。特に植物や動物はそこが難しいというか共通の感覚って何かというのが難しいというか。
実際、いろんな方の例句を見ていても、一物句ってなかなか少なく、やはり、二物取り合わせの句が多いです。何を取り合わせるかによって季語の無限の可能性があるような気もして。そういう意味では、なおじいさんもぜひチャレンジしてほしいですし、句作の幅が広がって多作できるようになるのかなと思ったりもします。
これが私の思う取り合わせでした。間違ってるかもーー(^▽^)/よろしくお願いします。
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こんにちは。前句「松過ぎて」にコメント有難うございました。勉強になりました。
本句は本日の率直な感想です。コロナのせいなのか、単に私がそういう地域を歩かなかっただけなのか…。
ご意見よろしくお願いします。