俳句添削道場(投句と批評)

おせっかいさんの添削得点の高い順に並んでいます

「次男なり還暦告げに墓参り」の批評

回答者 おせっかい

添削した俳句: 次男なり還暦告げに墓参り

評価:凡人

発想:季語は秋「墓参り」、あるいは「墓参」。
「次男なり」の一言で、コメントに書かれたような事情が、読み手に伝わる訳もない。
作句の動機が、コメントに書かれたような事情、「実家の墓守を長男に任せきりなことが次男として申し訳ない、ありがたい」という気持ちが主なのか、
それとも「自分が還暦を迎えたことを亡き両親の墓に参じ、告げたことの感慨」が主なのか、その両方を、たったの十七文字で全て言い尽くせるはずもない。

技術:当然、句意をどちらかに絞るしかない。
自分の句意がはっきりと伝わるように書くこと、これが俳句の大原則である。
あとのことは全て、読み手の想像力に委ねるだけ、それが俳句である。

修正:句意が前者なら「守り役の兄と実家の墓参り」とか
句意が後者なら「還暦を告げに父母への墓参り」とか

点数: 3

「終戦日行先を決めかねる雲」の批評

回答者 おせっかい

添削した俳句: 終戦日行先を決めかねる雲

評価:凡人

発想:季語は夏「終戦日」、作者は当然戦後生まれの戦争を知らない世代であり、終戦を迎えた時の人々の心に思いを馳せて詠んだのだろう。

技術:俳句は作者の意図や思いがどうであれ、発表した途端に読者のものになる。 読者個々が自分で解釈し、受け止め、共感したり、反発したりする。
「この句はこういう思いで作りました」とか「この句はこう受け止めてください」と言い添えるのは、私は邪道だと思っている。 ただ作者の意図をどうしても伝えたいのなら、それがはっきり伝わるような表現をしなければならないということ。 雲を当時の人々に重ね合わせた擬人化だが、「行先を決めかねる」という表現は如何にも説明的で字数としても無駄が多いという気がする。

修正:たとえば「終戦や夏雲までも躊躇せり」とか、下五は色々考えられる。

点数: 3

「鏡無き人々の喰ふ夏カレー」の批評

回答者 おせっかい

添削した俳句: 鏡無き人々の喰ふ夏カレー

はじめまして、「おせっかい」と申します。
確かにここには「添削・批評」とは程遠いような「批判・暴言」も一杯ありますね。こんなのは問題外なので、みんなで無視しましょう。
初めに申し上げますが、私は何事によらず「名プレイヤー必ずしも名コーチならず、また逆も真なり」だと思っています。 俳句も「上手に作る事と、上手に批評する事」は別もので、これも違う才能なのだと、私は考えています。

評価:才能なし

発想:季語は夏で「夏」、自分でも「駄句」だと言うくらいですから、俳句としては成立していないことがよくお分かりでしょう。 コメントがなければ、この句の意味は全く不明です。 この会では投句なしで、自分の意見だけを発表する場がないことが問題の本質なのかもしれません。

技術:言いたいことは夏である必要も、カレーである必要もなく、これを俳句として評価するのは気が引けます。 唯一これを俳句とする可能性があるとするなら「自分の過ちに気付かない人」を象徴するような季語を探して見つけ出して来て、その季語に自分の言葉をぶつけることしかないと思います。

修正:なし

点数: 2

「散華の蓮池御堂から十二礼」の批評

回答者 おせっかい

添削した俳句: 散華の蓮池御堂から十二礼

初めまして、今日から随時、添削に参加させていただきます。
これはあくまで、私の「俳句批評力」を磨くため、よろしくお願いします。
私が提示した「修正句」への批評は、みなさんご自由にどうぞ。

評価:凡人

発想:季語は夏「蓮」、あるいは「蓮池」。
「散華」(さんげ)も「十二礼」(じゅうにらい)も、いわゆる仏教用語。
「散華」は仏を供養するために花を散布すること、「十二礼」はお経の一つで歌うように唱えるもの。 作者のコメントを読んでさえ、この句からは、この句を創ろうとした作者の動機そして発想、即ち「句意」が伝わらない。

私はそもそも俳句に作者が「こういうつもりで作りました」とか「この句はこういう解釈をしてください」というようなコメントを添えること自体がナンセンスだと考えている。 俳句はもちろん作った作者のものだが、発表した途端に、すべてが読者のものとなる。 後は個々の読者一人一人が自分なりの解釈や受け止めを勝手にするのである。 作者がどうしても「こう受け取って欲しい」というなら、そう受け取られるように、俳句そのものを表現するしかない。

先ずは、字余りの所為もあって、「散華の、蓮池御堂から」なのか、「散華の蓮、池御堂から」なのか、「散華の蓮池、御堂から」なのかがはっきりしないので、景色や状況がぼんやりしている。 いずれにせよこの句は「散華」と「蓮池」と「御堂」と「十二礼」と、焦点が四つに分散していて、作者がこの中で一番何に心惹かれたのか、そこがボケてしまっている。 季語が必ずしもいつも主人公とは限らない。 ここでは「十二礼」だけが音として聞こえるものなので、おそらく作者はこれに焦点を当てたかったのだろうと、私は勝手に考えた。

技術:それなら真っ先に「十二礼」を出すべきだ。 後は全てが背景である。
背景の情報をてんこ盛りしようとすると、主人公の「十二礼」が薄められて、かえってぼんやりしてしまう。 俳句は無駄を切り捨てる究極の省略文学、背景は必要最小限に留めることだ。

修正:もっとシンプルに「十二礼流る蓮池御堂より」とか

点数: 1

「赤潮や風も逃げ場も無き岬」の批評

回答者 おせっかい

添削した俳句: 赤潮や風も逃げ場も無き岬

評価:凡人

発想:季語は夏「赤潮」、「くされ潮」とも呼ばれる海水が赤く染まる現象、
海水温の上昇が間違いなく関係していますね。 ただコメントを読む限り、
赤潮を自分の心に重ねて「腐っている自分の心」を嘆いているようです。

技術:このままでは「赤潮の海」という自然現象を嘆いているとしか受け取れません。 「逃げ場」の一言だけで、自分の心だと想像しろと言っても、それは無理です。 赤潮が自分の心を象徴しているのだと、「逃げ場」を求めているのが自分なのだと、思ってもらえるように表現を工夫することが必要になります。
この際「風」も「岬」も関係ありません。

修正:たとえば「心は赤潮逃げ場なく夢もなし」とか

点数: 1

おせっかいさんの俳句添削依頼

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投稿日時:

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