「三月十一日郷土力士の勝ち名乗り」の批評
回答者 みつかづ
お早うございます。コメントありがとうございます。
以下長文、お含みおきください。それとも、最後まで読まずに逃げたいですか?
<葉の表面の葉脈の溝に沿って雫が流れている、という事は、普通にわかります。
それがそう読めないということは、みつかづさんの価値観が相当自己中心的に
凝り固まってしまっているのではないかと思われます。
それはこの世のあらゆる科学的法則を無視した、論理的な説明を放棄した者が
使う逃げ口上ではありませんでしょうか?
血管を「肌の上の溝」だと言い張る様なものですよ。
それを指摘する事を「自己中心的」と呼ぶのは、
もはや全科学に対する冒涜でしょう。違いますでしょうか?
私めは、科学的法則を前提とした客観写生の話をしております。
葉脈は「葉の内部の維管束」です。
もし表面の凹凸を表現なさりたいのであれば、それは「葉の面」、
あるいは「筋(すじ)」とパッキングすべきでしょう。
「普通に分かる」と仰いましたよね?
村井もこりさんは、葉の中まで見透かす事ができるでしょうか?
正しいと感じる(好き嫌い)」で文芸を語る。これは、ルール無用の泥仕合ですよ。
私めは、好き嫌いで判断などしておりません。
「百歩譲って辞書が正しくても……」というご発言も、俳句の基礎基本である
「言葉の正確なパッキング」を全否定し、どの様な間違いも
「私の感性では正しい」の一言で通ってしまいますよ。
それこそ暴論でしょう。違いますでしょうか?
もし、辞書的に正しくても、私の感覚が正しいとの意図でしたら、
それは「私は理性の外側にいます」と村井もこりさんは仰いたいのでしょうか?
そうでありたいなら、私めは止める気なんて毛頭ありませんけど。
<独りよがりで送信受信しても、それは共感は得られないと思います
<晩乃さんの句には人の心を動かす何かがあるのですが、
みつかづさんの句には残念ながらそれはありません
完全な村井もこりさんの主観ですよね。そんなものに、私めは一切興味は無い。
私めが「独りよがりで送信受信して」とは、
何を根拠にそう仰っておられますでしょうか?
あなたの心を打つ、打たないは主観的ですから根拠になりませんよ。
何故なら、客観的再現性が無いですから。
私めは句面の字義的意味と、作者コメントとの乖離を精査・検証しているだけです。
「事実(物理的矛盾)」への反論ができなくなったため、「感性」や「心」という
数値化できない土俵へ逃げ込みでしょう。私めの作品を否定する事での、
心理的自己防衛と違いますでしょうか?
私めは、晩乃さんの作品を全否定してませんよ。
現に彼女の過去の添削を受け入れ、絶賛し、他者が直した晩乃さんの作品も、
私は直さずに絶賛いたしました。ログ辿りましたか? 確認してないんでしょ。
もし確認なさってたら出てこない言葉ですよ。私めは晩乃さんを嫌いだとは
欠片も思っておりませんし、一言も書いておりません。
最近の句はかつての彼女らしい胸を打つものが届かず、手垢が付いた表現で
誰にも詠める句しか出しておいででないから、私めは残念に思っているだけです。
独りよがりなのは、「国語辞典、古語辞典、歳時記の3点セット」を参照して
句面の語の意味を調べたり確認したりせず、「イメージ」だけで
文芸を月並みに塗り潰そうとしている側ではないでしょうか。
私めの言葉をただ冷たいとしか感じられなければ、
冷徹な事実、真実を受け取れない、
「自分に都合の良い綺麗な物語」しか受信できないアンテナ設定に
ご自身でなさっているからでしょう。違いますでしょうか?
「価値観をほぐして」とは、「嘘を嘘と見抜かずに受け入れろ」との
甘えの強要でしょうか? それは、俳人としての堕落ですよ。
私めは、誰とも慣れ合う気は毛頭ありません。1句1句の是々非々です。
反論がおありなら、いつでも受けて立ちましょう。私めは逃げも隠れも致しません。
以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。
点数: 1
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