「皸やフォークで食べるチヨコリング」の批評
ゆとりろさん。初めまして、こんばんは。みつかづと申します。
貴句、拝読いたしました。
チョコリング、美味しそうですね。私めも夜食に食べとうございます。
私めが患っていた掌蹠膿疱症よりも痛いでしょうし、大変お辛そうですね。
気になったのは以下の2点でございます。
①:動詞「食べる」が説明そのもの
フォーク「で」が手段の説明になっておりますね。食べる為の食器ですので。
作者コメントを拝見しますと、本来お詠みになりたかったのは
「皸の手で、べとつきを避ける生活感」。つまり 身体感覚と小さな工夫ですよね。
ただ、句ではそれが手順の説明文に堕しており、読者としては
「分かるけど、詩になり切れていない」感触ではないかと考えられます。
②: 「チョコリング」との具体化の是非
作者コメントには「手がべとつくのがいやでドーナツはいつもフォークで
食べてます」とございますので、「本来なら抽象化してもいいのに、どうして
具体化なさったんだろう?」と引っ掛かりました。
「これは“チョコリング”でなければならない理由がありますか?」との答え(核)が
明確でないと、その名詞(チョコリング)は句を支えていない事になります。
具体化なさった理由の可能性は以下が考えられました。
1:字数・具体性優先
・「ドーナツ」だと凡庸
・固有名詞的な「チョコリング」で映像を立てたかった
2: べとつき強調
・チョコリング=特に汚れ易い
・皸との相性を強調したかった
→ ただ、句中ではそこまで機能していない様に見えてしまう可能性がございます。
結果として、
・作者コメントと句の焦点がズレている
・「チョコリング」が主役になり過ぎて、季語
の主役性が立ち上がりにくいという
印象を読者に与えてしまいかねません。
そこで、①、②の解決の為の私めからの添削
提案は以下でございます。
具体的には「語順の入れ換え」、「動詞の変更」でございます。
破調で申し訳ございません。
・皸よチョコリングを刺すフォークよ
上記添削案の特徴でございます。
・動詞「刺す」は、必要最小限で行為が一瞬化されている
・間投助詞「よ…よ」による往復構造で皸→フォーク→皸という感情の回帰がある
・嘆き、不自由さのニュアンスも自然
・作者コメントを知らなくても成立する点が強い
以上、ご参考になれば幸いでございます。お目通しいただき、感謝いたします。
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手がべとつくのがいやでドーナツはいつもフォークで食べてます。その手の皸がひどくてつい皸の句を詠んじゃいます。