「曇天の冬空見上げ我想う」の批評
回答者 みつかづ
こんばんは。初めまして、かもしれません。みつかづと申します。
貴句、拝読いたしました。
典型的な「三重説明型」に陥ってしまっていますね。
・曇天:天候状態の説明
・冬空:季語(ですが直前の説明に埋没)
・見上げ:行為の説明
・我想う:心情の直叙
結果として、景→行為→心情が全て言語化されてしまい、詩的跳躍がありません。
少なくとも、動詞「見上げる」は外せますね。
空の天候が提示された時点で、見上げている事は当たり前だからでございます。
作者コメントを拝見いたしますと、「自分を見つめるのが一番難しい」と
ございますので、意外と「我」、「曇天」は外しにくいのではないか、と。
曇天=心象投影の可能性が十分ございますし、
・冬空(客体)
・曇天(主体側の状態)という二層構造を作る事ができる為、
曇天は残す価値が有るのではないでしょうか。
私めからの添削提案は、具体的には動詞「見上げる」を削ぎ、
語順を入れ換えるものでございます。助詞の意味も考慮に入れて。
・冬空や我の想いは曇天に
上記で、句意はそのままに句の字面が作者コメントに寄り、以下の効果になります。
・季語「冬空」を上五に据えて、句の主役としての主導権を握らせている
・「や」による自然な詠嘆
・中七「我の想いは」で、ふっと内側に視点が折り返される
・下五「曇天に」で、景と心象が静かに重なる
「今どう感じているか、何に疲れているか、何を欲しがっているか。
そうか。俺の心も曇天だなあ」とのという読後感が、
無理なく立ち上がるのではないかと私めは考えてみた次第でございます。
ご参考になりましたら幸いでございます。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
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今どう感じているか、
何に疲れているか、
何を欲しがっているか。
自分を見つめるのが一番難しいです