「囀りや見え隠れつつ高みへと」の批評
未知夫さんこんにちは。
御句
コメントを読まずに御句を字面だけで見ての感想ですが、中七下五のフレーズの意味がいまいち読み取れません。
映像を描こうとしているのでしたら、「囀り」という季語
に鳥の映像が見えなくもないので、木の枝で囀っている鳥が木々の間に見え隠れして高みへと飛んで行ったと解釈できますが、もしそうなら散文的ですし、余計なことを言い過ぎていて必要なことを言わな過ぎです。
比喩的な意味で使っているなら、読み手の解釈に委ねすぎな気がします。
コメントを拝読しました。年賀状に載せたい句であり、「もっと良い句が詠みたい」という思いを込めた句とのことですね。
その年賀状は不特定多数の人に送るのか、親しい人だけに送るのかわかりませんが、句の読み解きに負担がかかってしまうのはいただけないです。年末年始はただでさえ忙しいですからね。
そして、わかっているとは思いますが「囀り」は春の季語です。
どんな季語を使って俳句
を詠むかは個人の自由ですが、できる限りその季節の季語を使うべきだと私は思います。特に人に句を見せる場合は。
新年の鳥の季語だと「初鳩」というおめでたい季語があります。
あまり上手く添削
できませんでしたが
・『初鳩と共に我が句も高みへと』
これで意味は分かると思いますし、季節も合いました。
これからもよろしくお願いします。
俳句作りがんばってください。