「囀りや見え隠れつつ高みへと」の批評
初めまして。よろしくお願いします。
年賀に俳句とはいいですね。羨ましい。(もう年賀状何年も書いてないなぁ)
厳しくしてくださいとのことと、一定経験のある方ということで少し厳しめに。
1、季語とそれ以外でちぐはぐ
「囀り」は聴覚ですが、中七下五は鳥が高くまで飛ぶところの時間軸を持った描写。飛びながら囀ったということだと思いますが、そうすると「囀り」という季語が季語として生きてこないように思います。「囀り」と「鳥の高く飛ぶまでの描写」とどちらが作者として言いたいことかを絞った上でどちらかを変えて、互いに補強し合うようなものを選んだ方が良いと思います。
2、新年の季語でなくて良いですか?
これは僕がお作法を知らなかったらすみません。早春というくらいですから、春の季語を詠むのも普通なのかもしれません。
3、中七・下五の描写について
「見え隠れつつ高み」という描写しようという意図は良いと思いますが、どこか既視感があるのといまいち状況が掴みづらい。見え隠れなので、視界から外れる瞬間があるのとは思いつつ、雄大な景を飛び回っいて視界が追いつかないのか、何か遮るようなものがあってなのか、一羽なのか複数なのか。その辺りが今一歩ピンとこない感じ。「高み」というのも少し、比喩的な意図が見え隠れして損しているようにも思います。
コメントを見ると作句意図が、やはり「高み」というところにありそうですね。なので、句の景が抽象的でやや弱くなってしまっているように思います。
初夢の鳥の一羽の高きまで
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いま、来年の年賀状への掲句を考えています。これは、その候補のひとつです。俳句はじめて、まだ二年。来年はもっと勉強して、もう少し良い句が詠めるようにとの思いを込めています。ご指導いただきたいと思います。