俳句添削道場(投句と批評)

卓鐘さんの添削最新の投稿順の4ページ目

「お詫び」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: お詫び

こんにちわ(はじめまして?)
騒ぎではないし、特に批判でもないです。決して悪意のある助言ではないのは明らかですし。
あらためて、慣習や発表句の考え方を道場のメンバーが知れる良い機会になったのではないでしょうか?

点数: 4

「冬日差す瓦礫の下のぬいぐるみ」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 冬日差す瓦礫の下のぬいぐるみ

こんにちわ

ご質問がありましたので。

1、このサイトで投句したのを既発表オッケーなら出してもよいか?

投句先が問題ないなら当然全くもんだいないです。xやブログサービスとここは同じようなもんです。句の著作権は作者にあります。好きにつかえばよいです。新聞が他にはだすなというのは、二重投句と著作権、選者への配慮などいくつか理由があると思います。

二重投句
これは、投句先に同一句を複数送ることですが、投句時点で未発表でも発表される可能性があるなら当然ですよね?

著作権
新聞社などに出すときは、著作権は新聞社に帰属する契約(投句規約などにかいてある)になってることが多いです。ライバル社への掲載を規制するのは普通かと。ライバル社側も著作権主張したらわけわからんです。なので著作権が先方にある投句先に同一句を送るのはトラブルのもとになるのでだめでしょう。(自分の句集やsnsで自分の句として発表するのは、慣習的に問題ないです。)

選者への配慮
選者のいる投句先に別々に送ることは、選者を試すことになりかねません。なので、それが失礼だと考える人もいます。

2、既発表だめともいいともとは書いてない投句先
うーん。まずそんなところはないと思います。(ネット句会とかクローズなとこは除く)で、もし書いてないないとしても普通はだめとは思った方がいいでしょう。
また、既発表オッケーで出せる投句先はまず持ってないですよ。あるのは、俳句大会の新人賞とかの連作で発表句も含めて俳人としての評価を行うような場合です。単独の句で、既発表でも良いとする選者のいる投句先はみたことありません。

点数: 2

「冬日差す瓦礫の下のぬいぐるみ」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 冬日差す瓦礫の下のぬいぐるみ

こんにちわ。

本句、いい句と思います。

さて、既発表のことについて、どうも解釈や倫理の問題のように議論されているのが気になったので。明確に、ネットで公開されているものは既発表句です。で、投句サイト側が、「未発表」に限るとあったら、それを投句するのはその投句先へのルール違反です。賞によっては、既発表OKとするところは稀にあるのでその場合は問題ないです。投句先のルールに従いましょうというだけです。(当然ですが、そのことについてこの道場サイトは注意書きなどしません。)
ネット、新聞、句集、結社誌、テレビ、ラジオ、SNSこれらにUpされ不特定多数に触れる可能性があるものは全て、既発表扱いです。
クローズとな句会とかはOK。(NGと考える人もいる)

なので、倫理的どうのとかは全く関係なく、ルール上投句先が既発表NGと言えばNGだよねって単純な話で、既発表とはこのサイトにあげたものは明確に既発表です。

あとは、グレーなゾーンとして、没になった句はどうか問題。これは、選者を試すから失礼だと考える人もいるようなので、僕はしないようにしてますが、これは大丈夫と考える人の方が多いようです。

点数: 3

「寒空に孤独な鳥は歌うたう」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: 寒空に孤独な鳥は歌うたう

はじめまして

詩を詠もうという意図がいいですね。
気になりは2つです。

「に」の助詞。折角の韻律なので、単に鳥のいる場所を示すだけでは勿体なく。

もう一つは、「歌うたう」という動詞になっていること。飛びながら鳴いているとは思うものの、鳴いている動作でおわると、ディズニーのようなメルヘンに傾いて作句意図とはちがうのではないかという心配。

作句意図が、冬空と鳥声の寂寥感であるなら、冬空の補強と聴覚での帰結、途中のキレなどがあったほうがということで提案句。(意図とちがったらごめんなさい)

冬天の青し孤独な鳥の唄

点数: 2

「この枯れ葉宇宙から来たかもしれぬ」の批評

回答者 卓鐘

添削した俳句: この枯れ葉宇宙から来たかもしれぬ

コメントありがとうございました。

えーっと。いただいた質問(?)とコメントに返信しますが、こま爺さんがどのような俳句感を持っても自由なのですが、僕とは(割と多数派と思う)異なる部分がありますのでそこも整理しつつ。

1)「季語が動く」ということについて
前もお伝えしたかと思いますが、「季語が動く」とは言葉で明確に定義することは難しいですが、少なくとも、実景であるかどうか、一物or取り合わせであるかとは全く関係ない概念です。(と理解しています)なので、実景だから動かないというのはちょっとよく分かりません。(僕がわからないというだけで、動かないと思うのは自由です。)
あ、ちなみに、季語にベストというものはないので、動くのが即悪いとは考えてはないです。僕が「季語が動く」と指摘めいたことを言う時は、他にもいいのありそう感が強い時です。特に「冬のxx」みたいな季語の場合、その句の感慨を言うのに「冬」が必要か?はどうしても考えます。(寒雷、冬薔薇、秋の蚊、夏蝶、春炬燵、夏の月などなど。)実景は冬の夕焼けであっても、「冬」である必要がなければ、迷わず「夕焼け」で作ります。(僕だけが勝手に主張していると思われてもアレなので、たとえば「20週俳句入門」(藤田湘子)などにも、季語は使うのであって使われるなみたいな章に似たような趣旨のことが記載されてますね。)

2)二句一章の取り合わせを意図されているのであれば、上五は「や」で切らないのは何故でしょうか。
これは全く僕には、意味が分かりません。何やら、取り合わせの場合はこうしなくてはいけない、こうであれば一物だ、二句一章の取り合わせであれば、別々の景で関係はないものである。みたいな、「決まり」のようなものがあることを前提にされているコメントのようにお見受けしました。
ですが、全くそんな前提や決まりはないと考えてますので、困惑しております。
そもそも二句一章にしようなんて意図で句作はしませんし、結果論、二句一章になる時もあるし、一句一章になることもあるし。
また、「二句一章」、「一句一章」であることと取り合わせ・一物であること、季語が動くか動かないかそれぞれ全く別の概念という理解です。(関係性はありますが)

「や」で切るかどうかは、切れ字による効果(場面の切り替え以外にも多くある)を使いたい時は使うし、切れ字の効果を使わずに流した方が表現意図に見合うと思った時には使いません。それだけです。(取り合わせだから、二句一章だからという判断で決めません。)

3)虫と防災倉庫が遠い
そもそも近いか遠いかは、絶対的な基準はなく感性によるところも大きいので、こま爺さんとしてわからない・遠いと思うことはそれはそれで受け止めます。
僕は丁度良い距離感だと思ってますし、割と多くに共感される距離感だとは思ってますが。
ただ、1)と関連しますが、実景だったら季語が動くは関係ないということであれば、僕の句も実景なので、当たらないのですが、それは自己矛盾では?とは思いました。
(が、おそらく2)の前提で、「二句一章の取り合わせ」であれば、それは一つの景でないから、遠いのであるという論理かなぁとは解釈しました。が、これも、取り合わせというものの理解が、すでに記載した通り僕とこま爺さんとは異なりますので、しょうがないですね。)

長文失礼いたしました。

点数: 1

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