「反すうの牛のすう頭秋のそら」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 反すうの牛のすう頭秋のそら
誤解があるといけないので。
ひらがながわざとらしいのではなくて、普通漢字で書くものを韻を強調するためにひらがなにしているのがわざとらしいです。
数頭を「すう頭」ってまずかかないですよね。「反すう」「はんすう」はまぁ書くでしょうけど。
点数: 2
回答者 卓鐘
添削した俳句: 反すうの牛のすう頭秋のそら
誤解があるといけないので。
ひらがながわざとらしいのではなくて、普通漢字で書くものを韻を強調するためにひらがなにしているのがわざとらしいです。
数頭を「すう頭」ってまずかかないですよね。「反すう」「はんすう」はまぁ書くでしょうけど。
点数: 2
回答者 卓鐘
添削した俳句: 手拭いの農婦草刈る花野かな
こんばんわ
言うか言わぬかずっと迷っていたのですが、このままだと僕自身がもやもやするので言います。
こま爺さんは、頭で作句されてませんか?いやもちろん頭で作るんですが、なんというか作者の実感のようなものが句やリズムから感じられないことが多いんですよね。
作者の実感の描写によって詩って生まれると思うのです。なにも見たことだけしか詠むなと言っているのではなく、想像でも空想でもそこにありありと感じたものを描写できているか。
いろいろ初心者向けの指南はたくさんあるけど、それを回避すればいいというものではなく、あくまで失敗しやすいというだけ。
御句も季語に向き合ってない(脳内や映像であっても)ように思えてならないのです。なんとなく草花が生えた野のイメージから田舎の光景を思っただけといいますか。だれもあとのつけていない原野に咲く花野の光景ではないような。
この句の主役は花野ではなく、手ぬぐいの農夫になっていると思います。それは技術的にかなをつければそれが主役になるという単純な話ではなくて、句から読み取れる感慨が、そこなので。
偉そうにすみません。俳句を理屈や技術だけで取り組んでたらもったいないなぁという余計なおせっかいでした。
点数: 8
回答者 卓鐘
添削した俳句: そこまでと友を見送る秋の空
コメントありがとうございました。
サファイア持ち出すのいいですね!なんか急にきれいになりました。
御句、秋の空でちょとだけ惜しむ気持ち、さみしい気持ちがよく出てると思いました。「そこまでと」に、いいよここでといわれて、ちょっとそこまでだし、みたいな会話があったことも想像できました。
点数: 1
回答者 卓鐘
添削した俳句: 酔ひどれて街の外れの花野かな
こんばんわ
コメントありがとうごさいました。契もいいですね。
結婚詐欺だってなんとなくわかっているけど憎めない人と秋の湖畔で過ごすみたいな想像で詠んだんですが、まぁ無茶でした(笑)
点数: 1
回答者 卓鐘
添削した俳句: 在りし日の面影とゆく花野かな
こんばんわ
亡くなった方、不思議な関係の人と花野を行くっていうのはわりと類想ど真ん中な気はします。僕が詠んだ戦争とかも笑
ですが、まぁそれだけ季語の本意には迫っているということかもしれません。
「在りし日の面影」はさすがに抽象的すぎて歌謡曲の歌詞みたいかなと思います。
コメントの「大親友」にぐっとくるものがありました。
花野かな大親友の思ひでは
点数: 2
最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。