「ストーブや前へ倣えの洗い物」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: ストーブや前へ倣えの洗い物
こんばんは。
「洗い物」は食器を思わせます。
誤読は損。字余りでも「洗濯物」としたいところですね。
・ストーブや前へ倣への洗濯物
「ストーブ」と「洗濯物」は相性の良い措辞。
部屋干しの風景が出るようです。
点数: 1
回答者 イサク
添削した俳句: ストーブや前へ倣えの洗い物
こんばんは。
「洗い物」は食器を思わせます。
誤読は損。字余りでも「洗濯物」としたいところですね。
・ストーブや前へ倣への洗濯物
「ストーブ」と「洗濯物」は相性の良い措辞。
部屋干しの風景が出るようです。
点数: 1
回答者 イサク
添削した俳句: 弔いのカサブランカ買う霜月
こんにちは。
先に慈雨様から出ている意見におおむね同意です。
俳句界には「季重なりダメゼッタイ」派もそれなりにいらっしゃいますが、「ダメではないが場合による」派も大勢います。「場合による」派として少し。
季語には、絶対に季節がずれない季語(明確に季節を表す「春夏秋冬」の付く季語や、日付・二十四節気などの暦の季語など)があります。
それらとは別に、季節がずれても存在するモノの季語(有名なところでは「鳥の巣」「ぶらんこ」「滝」「ハンモック」「ビール」「月」などなど・・)があります。
温室栽培などで季節がずれている花なども「季語の季節を超えて存在しているモノ」と言えて、後者に該当すると思います。御句の「カサブランカ」もそれに該当するかと思います。
後者の「季節がずれていても存在するモノ」は、「この句では、季語として使ってませんよ~~」と俳句の中で上手に処理できれば、季語として見ないふりできます。
御句では「霜月」という明確な時候季語があり、「霜月に入手したカサブランカ」と受け取ることができるかたち。季重なりは気になり難いですね。
季重なり以外の点で少し。
御句では「買う」を入れて「わざわざ購入した」という句にするのもいいのですが、
「弔いの」という説明もいいのですが、
コメントより、「柩に入れた」という事実描写と季語の選択で、「弔い」という気持ちは伝わりそうな気がしています。
・はつ冬のカサブランカを柩へと
・行く秋やカサブランカを柩へと
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: 一張羅の腕に両の手冬うらら
再訪です。
「恋愛の景」という情報ありがとうございます。
とすると、作中主体を男性(田上様は男性ですよね?)として、女性に手を添えられている風景にしてみます。
・一張羅の腕に君の手冬うらら
「一張羅の腕」と「君の手」がそれぞれ別の人、という解釈がしやすくなり、「君」にて作中の人間関係も理解しやすくなるのでは、と思います。
いかがでしょうか。
またよろしくお願いします。
点数: 2
回答者 イサク
添削した俳句: おしながきに一句のありて秋の宿
こんにちは。
粋な宿だったのですね!
「ありて」と説明するのもありますが、名詞で取り合わせるのも手かもしれません。
句の内容を少し想像したくなりました。
コメントから、お言葉拝借。
・おしながきに料理長の句秋の宿
追記です。
私の考え方です。
俳句の世界では、推敲・添削
で手直ししても元句の方の句、ということが多いです。私も公開になっていない場所で多くの方の句にアイデアを述べたり、逆に意見をもらったりしていますが、それは元句の作者の所有句にしています。
この前提を外すと、芭蕉の句を改作して「推敲したから自分の句じゃ~~」と言えてしまうことになる。それは誰も認めないであろう、ということは理解できると思います。
(本歌取り・オマージュと明言すれば認められることもありますが、それは別の話)
なので、元句の推敲句は元句の作者の句、というのは基本になります。
ですが、このサイトでコメントに添削・別案として置いた句の持ち主が誰かというのは、おそらく正解がありません。
元句のアイデアを使っている以上、元句の作者を無視してコメントを書いた者の句と断定するのはおかしな気がします。
ですが、その句はコメント者が考えた句ですし、コメント者が自ら書き込んでいます。元句になかった良さを出せている提案句を、コメント者の気持ちを考えずに元句の作者の句、と断定するのも不思議な気がします。
このサイトの場合、インターネット上で必ず公開される都合もあります。
基本的には、このサイトでの「添削」や「別案」は、元句の作者も添削コメント者も「自分の句だ!」と高らかに言わない方がいいんじゃないかなあ?と考えています。
おそらく正解がない話なので、おかえ様もあまり気にせずにいていただければ幸いです。
点数: 4
回答者 イサク
添削した俳句: 瀬戸渡る島影淡き霧纏う
こんばんは。
動詞の多い句が失敗しやすい理由のひとつに、動詞の主語が変わって受け手が混乱してしまうケースがあります。
御句も、最初は「瀬戸渡る島影」=「島が瀬戸を渡っている」と受け取って、混乱しました。下五の「纏う」の主語は「島影」ですよね?
コメントを見るに、「瀬戸渡る」のは作者の行動だと思われます。
作者の行動の報告文「瀬戸渡る」から始まっているのに、切れ字もなく風景描写「島影淡き霧纏う」へ直接つながるので、混乱しやすい形なのだと思いました。
「渡る」が終止形・連体形同形なのも誤読を招く理由のひとつ。
とはいえ、
基本的には「動詞を減らす。複数の動詞を入れるなら動詞の主語を変えない」ということをお勧めします。
提案句は、先にある独楽様の提案を参考にしてください。
もし自分の行動「渡る」はどうしても入れたいのであれば
切れを入れたり、後半の「纏う」を諦めたり、ですかねえ?
・瀬戸渡るや島影纏う淡き霧
・瀬戸渡るとき島影に霧淡し
・瀬戸渡りて島々淡き霧の中
でも御句の場合、「渡る」という「自分の行動の報告」は入れずに、風景描写に徹した方が良い句になりそうな気がします。
点数: 3
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