俳句添削道場(投句と批評)

イサクさんの添削投稿の古い順の1349ページ目

「黒山や甦りし花一分」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 黒山や甦りし花一分

おはようございます。はじめましてでしょうか?
よろしくおねがいします。

俳句】を作りたいということでよいでしょうか?
俳句には基本的な形として「季語ひとつ」「五七五のかたち」などありますが・・・

◆季語は「花」でしょうか?
 「花」を季語で使う時は「桜」の意味、春の季語として使うのですが、この句には桜がどこにも見当たらず。コメントを読んでも「記憶の中の花」なので、季節がよくわかりません。
 まず、句の季語に選んだもの(「花」なら桜の風景)と、【季節】を大事にしてみてください。

◆「くろやまや/よみがえりし/はないっぷん」で五・六・六になっています。
 俳句のリズムが崩れていて、【詩】として読みにくいです。
 作者の意図で、内容に応じてわざとリズムを崩すこともありますが、その「リズムの崩れ」を詩に生かすというテクニックの範囲です。この句ではあまり生きていませんね。

◆御句で私の思う最大の問題点、説明抜きで俳句だけを受け取ったときに「意味がわからない」ということでした。コメントを読むまでまったくわかりませんでした。
 ★「黒山や」は地名と思っておりましたが、コメントを読むと「黒山のひとだかり」。ここはおそらくわかりません。
 ★「甦りし」何が甦ったか全くわかりませんでした。記憶が甦ったのですね。ここも難しいでしょうね。
 ★「花一分」ここは「花いちぶ」と読んで「桜の一分咲き」のような意味だと思っておりました。
 ★全体では【黒山という山で、昔はあったが今はなくなってしまった桜の木を誰かが甦らせた(植えた)。その桜がやっと一分咲きになった(これから満開に向かうのが楽しみである)。】というような意味を無理に作って受け取っていたのですが・・・全然違いますね。

◆「思い出を俳句にしたい」ということがよくありますが、【現在思い出した自分】を登場させて(主役にして)俳句を作るのは非常に難しいです。【現在の自分にどうやって「季節」「季語」を取り入れていくのか】【今の自分と昔の記憶を同時に収めるには、俳句の十七音は短い】など、非常に難しいことをやろうとすることになります。
 「思い出したこと」を俳句にするなら、【今の自分】を報告することは諦めて【その当時の記憶の映像を描写する】方がよいと思います。そうすれば【当時の季節】で季語は入りますし、「自分の報告をする」ということはしなくて済みます。

出したい風景をひとつひとつ丁寧に描写していくことをお薦めします。
たとえば記憶の中の「黒山のひとだかり」の風景はどんな場所だったのでしょうか?
「黒山の人だかり」は「花が綺麗な場所」ということにして、提案の句を作ってみます。

・満開や野に黒山のひとだかり

句意とは違ってしまいましたが、例えばこんな感じです。

「今の自分」を主役にしたいならば、もっと適切な季語や状況を出して、「黒山」は諦めるなど言葉を整理して、別の句にしてみてください。

点数: 4

「人間を抜ける素粒子蕗の薹」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 人間を抜ける素粒子蕗の薹

こんばんは。

聞ける俳句で拝見した瞬間「めちゃめちゃ良い句」とおもって、そうお伝えできる場を待ってました、というくらいの句です。
御本人がそう思ってないのが、とりあわせ句の詠み手と受け手の差らしくていいですね。

季語は動くというか、他にも合う季語は存在すると思いますが、この季語「ふきのとう」は相当良いと思います。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」で、ダメな句は理由をつけやすいのですけれど。良い句は理屈では説明しづらいのですよ・・

聞ける俳句の傾向では、優秀句には入りにくい取り合わせですが、私には佳作以上納得の句です。

点数: 2

「懐かしむ春障子ちゃんばらの跡」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 懐かしむ春障子ちゃんばらの跡

こんばんは。はじめまして。

季語「障子」でなく、わざわざ「春の障子」なので、
舞台セットのように使わず、上五か下五に置いて季語として生かしてあげた方がよいと思いました。
それでリズムも五七五の定型に近づきます

・懐かしきちゃんばらの跡春障子
・春障子ちゃんばらの跡懐かしみ

それとも、最近の初心者さんは、五七五は崩した方がよいと習っているのでしょうか・・?

点数: 2

「セミ死に絶へ教室の窓黄に染まり」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: セミ死に絶へ教室の窓黄に染まり

こんばんは。
他の方から細かく出ています。一点だけ。

「絶える」は文語で「絶ゆ」で、歴史的仮名遣いでも「絶え」ですね。ヤ行なので。
「絶へ」と「へ」がつくことはありません。
仮名遣いは、慣れるまではひとつひとつ確認した方がいいです。
俳句十七音ならば大した量ではありませんし・・

まあ、他の方の言うとおり「セミ死に絶え」は俳句として生かすには難しい言い回しなので、この句で「絶え」はそもそも使わない方がいいと思います。

点数: 1

「盃に浮かぶ花シワばかり増え」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 盃に浮かぶ花シワばかり増え

おはようございます。

なおじい様がだいたい私と同じ考えを語っておられます。一点注釈で、私は「花びら」は意志を持って桜の花びらとして使えば季語として機能すると考えていますが、避けるべきと指導する先生はいらっしゃるらしいです。

それ以外の部分で気になったのは「ばかり増え」の説明感でした。そもそも「シワ」に対してそのような説明が要るかどうか・・?
ここもなおじい様が上手で「友」を出した方がよいという意見。ここは私も賛同で、「皴の友」に注目すれば「皺が増えたこと」は受け手が補ってくれそうですし、酌み交わしているならば自分ではなく「友」を見ていると思いますので、一抹のリアリティになります。
(友と飲んでいるのに鏡で自分ばかり見ているような人は、それはそれで句材にはなりそうですが・・)

たとえば語順で上五「盃」の位置は変えずに

・盃の花びら友の顔の皴

「花びら」は季語として使えない、ということなら

・皺の友酌む盃へ飛花ひとつ

今度は「酌む」不要論もあるかもです。
御句の内容を「花見の友の皴」の九音で言いつくして、別の要素を足す方法もあります。

・高い酒空けて花見の友の皴
・ちびちびと啜る花見の友の皴

ここまで来ると句意が変わりますね。いろいろ考えてみてください。

点数: 2

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