「盃に浮かぶ花シワばかり増え」の批評
回答者 イサク
おはようございます。
なおじい様がだいたい私と同じ考えを語っておられます。一点注釈で、私は「花びら」は意志を持って桜の花びらとして使えば季語として機能すると考えていますが、避けるべきと指導する先生はいらっしゃるらしいです。
それ以外の部分で気になったのは「ばかり増え」の説明感でした。そもそも「シワ」に対してそのような説明が要るかどうか・・?
ここもなおじい様が上手で「友」を出した方がよいという意見。ここは私も賛同で、「皴の友」に注目すれば「皺が増えたこと」は受け手が補ってくれそうですし、酌み交わしているならば自分ではなく「友」を見ていると思いますので、一抹のリアリティになります。
(友と飲んでいるのに鏡で自分ばかり見ているような人は、それはそれで句材にはなりそうですが・・)
たとえば語順で上五「盃」の位置は変えずに
・盃の花びら友の顔の皴
「花びら」は季語として使えない、ということなら
・皺の友酌む盃へ飛花ひとつ
今度は「酌む」不要論もあるかもです。
御句の内容を「花見の友の皴」の九音で言いつくして、別の要素を足す方法もあります。
・高い酒空けて花見の友の皴
・ちびちびと啜る花見の友の皴
ここまで来ると句意が変わりますね。いろいろ考えてみてください。
点数: 2
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毎年花見をしながら酒を飲む親友同士の句です。
学生時代から夢を語り合う親友のような、兄弟のような2人のほろ酔いで浮かれた気持ちと、大人になっても変わらず夢を語る様子をよんでみました。