「黒山や甦りし花一分」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 黒山や甦りし花一分
おはようございます。はじめましてでしょうか?
よろしくおねがいします。
【俳句】を作りたいということでよいでしょうか?
俳句には基本的な形として「季語ひとつ」「五七五のかたち」などありますが・・・
◆季語は「花」でしょうか?
「花」を季語で使う時は「桜」の意味、春の季語として使うのですが、この句には桜がどこにも見当たらず。コメントを読んでも「記憶の中の花」なので、季節がよくわかりません。
まず、句の季語に選んだもの(「花」なら桜の風景)と、【季節】を大事にしてみてください。
◆「くろやまや/よみがえりし/はないっぷん」で五・六・六になっています。
俳句のリズムが崩れていて、【詩】として読みにくいです。
作者の意図で、内容に応じてわざとリズムを崩すこともありますが、その「リズムの崩れ」を詩に生かすというテクニックの範囲です。この句ではあまり生きていませんね。
◆御句で私の思う最大の問題点、説明抜きで俳句だけを受け取ったときに「意味がわからない」ということでした。コメントを読むまでまったくわかりませんでした。
★「黒山や」は地名と思っておりましたが、コメントを読むと「黒山のひとだかり」。ここはおそらくわかりません。
★「甦りし」何が甦ったか全くわかりませんでした。記憶が甦ったのですね。ここも難しいでしょうね。
★「花一分」ここは「花いちぶ」と読んで「桜の一分咲き」のような意味だと思っておりました。
★全体では【黒山という山で、昔はあったが今はなくなってしまった桜の木を誰かが甦らせた(植えた)。その桜がやっと一分咲きになった(これから満開に向かうのが楽しみである)。】というような意味を無理に作って受け取っていたのですが・・・全然違いますね。
◆「思い出を俳句にしたい」ということがよくありますが、【現在思い出した自分】を登場させて(主役にして)俳句を作るのは非常に難しいです。【現在の自分にどうやって「季節」「季語」を取り入れていくのか】【今の自分と昔の記憶を同時に収めるには、俳句の十七音は短い】など、非常に難しいことをやろうとすることになります。
「思い出したこと」を俳句にするなら、【今の自分】を報告することは諦めて【その当時の記憶の映像を描写する】方がよいと思います。そうすれば【当時の季節】で季語は入りますし、「自分の報告をする」ということはしなくて済みます。
出したい風景をひとつひとつ丁寧に描写していくことをお薦めします。
たとえば記憶の中の「黒山のひとだかり」の風景はどんな場所だったのでしょうか?
「黒山の人だかり」は「花が綺麗な場所」ということにして、提案の句を作ってみます。
・満開や野に黒山のひとだかり
句意とは違ってしまいましたが、例えばこんな感じです。
「今の自分」を主役にしたいならば、もっと適切な季語や状況を出して、「黒山」は諦めるなど言葉を整理して、別の句にしてみてください。
点数: 4