「蝶拾つたうごかなかつた吾子の秋」の批評
回答者 イサク
添削した俳句: 蝶拾つたうごかなかつた吾子の秋
こんばんは。
その節はいろいろありがとうございました。
他の方から出てこなかった話を。
御句、日記俳句として終えるならば、原句の方針でかまわないと思います。季重なりですが、この句で「春の蝶」と思う人はいないでしょう。
詩としてブラッシュアップを考えるなら、二点、強めに気になることがありました
◆「自分の子が死んだ蝶を拾った(そして埋めた)」という報告をつめこもうとしていること。
埋めたことを省略したのは悪くないですが、まだ報告の量が多いように思います
◆「蝶拾つたうごかなかつた」「吾子の秋」という表現を思いついたことで、それぞれにとらわれて、窮屈になっているように感じること。特に「吾子の秋」が曲者。
詩としてさらに昇華する方法はいくつもあると思います。
たとえば一句に日記をつめこむのではなく、複数の句にわける勇気があれば、一句ごとに感動の焦点を「子」か「蝶」に絞った方がよいように感じます。
・蝶拾つたうごかなかつたあゝ秋か
・動かざる蝶を子は埋め秋暑し
いかがでしょうか
点数: 3