俳句添削道場(投句と批評)

イサクさんの添削最新の投稿順の1416ページ目

「鶯の声を追いかけ路地裏に」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 鶯の声を追いかけ路地裏に

こんにちは。

この句では「鶯の声を追いかけて路地裏に行きました」という自分の行動っぽいことを報告しようとしています。
報告の説明はよくわかるのですが、自分の行動なので、よほど突飛なことをしないとありきたりになりがちです。

「自分の行動の報告」ではなく、「鶯の声」を主役にして、「どんな路地裏?」「路地裏に入る前はどんな場所で聞いた?」など、別のものを発想をしてみるとよいかもしれません。

まず「追いかけ」というのは自分の行動なのでやめてみます。
で、「鶯」というだけで声の想像もできるので、「声」とわざわざ出さない手もあります(ここは諸説あります)

・鶯の路地裏知らぬ店並び

点数: 1

「ロシア船北向く水押千鳥飛ぶ」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: ロシア船北向く水押千鳥飛ぶ

こんばんは。

疑問の句でした。

◆「北向く」は前後どちらにかかっているのでしょうか?
 悪い意味での山本山になっています。
 「ロシア船北向く」とつながるのであれば、船が北を向けば、船首が北を向くのは当たり前ではないですかね・・
 「北向く水押」とつながるのであれば、「ロシア船」という名詞が単独になってしまい、三段切れっぽいリズムに。

◆「水押」=みよし、ではありませんか?「みなお」と読む場合を知りませんが、意味は同じなのでしょうか?

「ロシアの船」「北を向く」「(船の)水押(船首)」重要なのはどの映像でしょうか?それによって推敲が変わってくると思います。

点数: 1

「お詫び」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: お詫び

こんばんは。

どうも過去にこちらにいらっしゃった方のような書きっぷりですね。
私は、匿名で言いたいことだけ言う人間は好きではありませんので、
ああいう方の言うことは真に受けないようにしています。
(本名と俳号を使い分けるのとは訳が違います)

年数を言い出したら、ここでコメントできる人間がいなくなってしまうので、そこは言いっこなしではないかと。
その中には、初心者のうちしか言えないような芯を食った一言もありますし、逆に初心者の思い込みをコメントしたことがきっかけで訂正してもらえることもありますし、おおらかに見てほしいところですけどね・・
褒め合うコメントも有難いですけれども、厳しいコメントのありがたみもありますよ?

ネットマナーとしては、句と関係ない人格否定とか、暴言とか、逆に句についてのコメントに対して句と関係ない点で怒り出すとか、そういうのは勘弁ですけれども。

こま爺様に関しては、ご自身で反省すべき点がおありと思うのであればそれはそれで以後注意するとして、次のステップへ行けばよいのではないかと。

点数: 8

「遠声の漕ぐ君追わる思い炎ゆ」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 遠声の漕ぐ君追わる思い炎ゆ

こんにちは。
慈雨さんごめんなさい!
慈雨さんの説明で、仮名遣いと文語(古語)がごっちゃになってますよ!
横から訂正します、申し訳ないです

「追う」(終止形)(現代仮名遣い)
 ⇒旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)ならば「追ふ」(終止形)
 口語でも文語(古語)でも「追ふ」(終止形)
 (口語と文語で、活用が変わりますが終止形は同じ)

口語・現代仮名「追われる」(終止形)は、「追う」+受け身の助動詞「れる」の複合語ですので、
 ⇒文語+旧仮名なら「追ふ」+受け身の助動詞「る」
 ⇒文語+旧仮名なら「追はる」(終止形)
 ⇒文語+現代仮名遣いなら「追わる」(終止形)★
 (連体形なら「追わるる」「追はるる」)

なので「追わる」という日本語は存在します(★マークのところ)

ただ、こちらの句で「追わる」という使い方が好ましいかどうか、というのは別の問題です。

一旦ここまで。

点数: 0

「階段を急ぐ足音ポインセチア」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: 階段を急ぐ足音ポインセチア

おはようございます。

◆下五「ポインセチア」の字余りは気になりにくい字余りです。気にしなくてよいと思います。
◆この句を見て「ポインセチアが歩いている」と思う人はいないでしょう。そちらの誤読の心配はないと思います。

◆ただし、この句を見て「ポインセチアを抱えている」と受け手が思うかどうか?
 私は「ポインセチアの鉢植えのある室内にいて、誰かが階段を急いで上ってくる足音が聞こえてくる」と受け取ります。
 コメントの通りの句意を必ず出したいならば、「抱える」などの言葉で映像を補助してあげる必要はありそうに感じます。

◆では一句目の「階段を抱へて急ぐポインセチア」はどうか。
 こちらは「抱へて急ぐ」という部分がやけに説明的に感じます。
 自分の行動を描写するのは難しく、えてして報告的・説明的になりがち。特に動詞で自分の行動を説明する際、説明感が強くなりやすいようです。

・「抱えくるポインセチアが顔隠す:本井 英」
・「靴音のポインセチアに来て止まる:佐保 美千子」
こちらの二句は、自分の行動の報告ではなく、客観的な描写表現としています(もしかしたら自分の行動だったかもしれませんが)。
先人の句は、こういう点を見習ってみるとよいかもしれません。

点数: 3

イサクさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

山笑う地球に罅の入るほどに

回答数 : 10

投稿日時:

うららかや100円玉のかがようて

回答数 : 69

投稿日時:

啓蟄に入りましたよ鳩歩く

回答数 : 25

投稿日時:

ドカ雪と言ふと言へども春の雪

回答数 : 81

投稿日時:

初星や篝に知らぬ顔多し

回答数 : 54

投稿日時:

イサクさんの添削依頼2ページ以降を見る

その他の添削依頼

今コロナ行動してはいけません

作者名 翔子 回答数 : 1

投稿日時:

検針のボトル片手の暑さかな

作者名 紀州鰹節 回答数 : 3

投稿日時:

元旦の朝の挨拶こっつんこ

作者名 まさ 回答数 : 1

投稿日時:

添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ